チームワークの考え方(ふくしまノート) | 連続アメブロ演義 まとひ

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剣龍之介のいま、つたえたい話



『チームワーク』とはなにか?
=互いが持つ能力の限界までベストを尽くし、目標を達成すること。
 そこで生まれる高い意識の連帯感である。

チームの考え方

・グラウンド(パブリック)で結果を出すことに集中する
・グラウンド外(プライベート) は各自の自己管理に任せる
・公は公、私事は私事。個人の好き嫌いでなく、能力と適性で起用する
・私事で公に支障を与えた場合はペナルティとなるが、
 そうならないように自律してほしい
・ポストはそれぞれの役割の違いであって、人間の偉さの高低ではない
・まず、仕事は自分のためにやる。それが社会のため、他人のためになっていく
・同じ方向性を向いている限り、どんなに意見が異なっても、やり方はできるだけ現場に任せる
・目標が達成できなかった場合は、結果を非難するのではなく、やり方を修正させる


『チームワーク』。

日本では良く聞く言葉ですが、アメリカなどには存在しない概念らしいですね。
少なくとも、プロの世界においては。

諸説ありますが、欧米のボーイスカウト活動で、どうしても運動が苦手であるとか、
身体が弱い仲間を助けること、その身体の両脇を支えることが発祥という説が
あります。弱者を助けてあげることが『チームワーク』というわけです。

ですから、たとえば、アメリカのベースボール・メジャーリーグ。
メジャーの選手は全員選ばれた強者・プロフェッショナルだから、 弱者は存在しない。なので、チームワークは存在しないんですね。各自がベストを尽くすだけ、という考え方。
「君はプロだろ?自己管理しなさい。これこれの目標を達成しなさい」と。
できなければ、すぐクビになる世界です。

特にアメリカでは、職掌・その人がやるべき仕事の内容が細かく文書にされる
のは有名ですよね。だから、その決められた仕事内容以外はやらないし、逆に
やってしまうのは他の人の仕事を取ることになるので避けられる。
考え方がボトムアップですよね。

ともあれ、日本式に全員が協力して、互いの弱点をカバーしあいながら、
大目標を達成するのは素晴らしいと思います。良い意味でなら、好きなんですが。

日本では『チームワーク』が、悪い意味で唱えられてきたんじゃないかなと、思いますね。『後ろ向きのチームワーク』。これには注意しないと。
例えば、新しいことや群を抜いて凄いことをやる人は『チームワーク』の名の
もとに、出る杭として打たれてきたように思います。

実際、あった例ですが、普通の人が「1」の仕事をするとき、「100」出来る人が
いたんです。仕事の方向性も間違ってないし、チームとしての目標にも合致する
ただ、上司が何といったか。「みんな君のように仕事は出来ない。謹んでくれ」
上司だけでなく、同僚も、さらにその上の経営陣・責任者も同じ意見だったんですね。
結局、この方は、フリーになるしかなかったんですが、理解に苦しみましたね。
誰に迷惑を掛けるわけでもなく、逆に貢献しているのに、不利益を被る。


他にも、チームワークを叫びながら、派閥を作って足の引っ張り合いをやる、
言行の不一致、感情で人を使う、こういう方々もいましたね。
そんなことも見聞し、長らく『チームワーク』という言葉には注意しないとと、
思っていましたね。

ただ、自分の中で考え方が変わったのは、激戦地から帰還した元兵士、元指揮官の見解に触れてからでした。
それは最後は『量より質、質より和』であると。
激戦地のガナルカナル、インパール、硫黄島などで地獄を見た方々の言うところで、傾聴に値する言葉でした。飢餓、疫病、戦闘・・・・・・シビアな状況になるほど、
弱肉強食でなく、和と人間性で生き残る、と。実体験から出た言葉は重い。
以来、良い意味での『チームワーク』に抵抗はなくなりました。

冒頭のメモは、それから考えたものです。
『量より質、質より和』です。