ある若い女性が先生に相談に来た。
「わたしには親友が出来ないんです。親友をつくりたいんです。どうしたらいいでしょうか」
先生は尋ねられた。
「あなたはご自分で友人が多いと思われますか?少ないと思われますか?」
「友人が多いのが自慢です。ですが、なかなか親友と呼べる人がいないのです」
そういって女性はずらりと友人の連絡先をあげて、先生に見せた。
「この世にあって、友人と呼べる方が1人でもおられるなら、それは幸せなことです。また、親友と呼べる方に出会えたなら、これは奇跡のようなものです。友人と知人は異なります。単に知っているだけなら、それは知り合いです。
友人といっても、毎日の愚痴や他人の噂、ねたみ、悪口を言い合ったり、本音を隠して利用しあったりする関係ならば、友人とは呼べないと私は思います。友人がほしい、親友がほしいとおっしゃられる方は多いですが、どのような理由から、欲しがっておられるのでしょうか。相談にのってほしい、ただ世間話がしたい、こちらが大変なとき助けてくれる、寄りかかれる人をあらかじめ探しておく、そういった自分の欲から出ることが多くは無いでしょうか。こちらが何かをしたから、見返りを期待するのは間違いです。また、親密の余りに遠慮が無くなり、お互いの欠点ばかり目に付いたり、「俺とお前の仲じゃないか」と、なんでもかんでも干渉するのも考えものです。
そういった欲得本位の友人や知人が多ければ多いほど、その中の人間関係や相談事、厄介事が多いと言うこともありますよ。逆に、周囲からあの人は孤独だと言われても、人間関係の厄介事も無く、自分自身、満ち足りて充足した生活を過ごす人もいるのです。
いつもは厳しく、それほど付き合いも無いのですが、本当に自分がどうしようもないとき、損得に関係なく手助けをしてくれる方がおられます。いつも自分に明るい刺激をくれて、私たちを成長させてくれる方もおられます。そういう方々であればあるほど、他人を敬い、品位ある言動をされます。こういった方々こそ、ほんとうの友人や親友と呼べるのだと、私は思っております。
私自身、あの時、こういった方々に助けてもらえなかったら、今ごろどうなっているかわからないということが何度もあります。これは自戒を込めて申し上げるのですが、こういったありがたい方に限って、自分自身、『ありがとう』の感謝の言葉さえ、しっかりお返ししていないことが多く、自分の至らなさを反省することがいまだに何度もあります。
まず自分を磨くことです。孤独であっても、前向きに堂々と生活し、心穏やかにいれば、おのずと道は開けます。覚えておきたいのは、『自分自身の現在』に見合った人々が周囲にいるということです。たとえば、ある職業の人はその職業特有の雰囲気というものがどうしても漂うものです。それは業界、趣味嗜好、考え方などでもいろいろ当てはまります。
これは結婚にもあることです。周囲が眉をひそめ、この結婚だけはやめなさいといくら言っても結婚し、ひどい目に遭って離婚したなどという話は、あなたの周囲にも珍しくないでしょう。周囲がどう思おうとも、その人の人生で超えるべき課題、障害であるときには避けられないものです。ですから、たとえ、あれは失敗だったと感じても、そこから学ぶことが大事です。
類は友を呼ぶ、超えるべき人間関係の学び、これら2つを心に留めておけば、冷静に自分と他人とのお付き合いが出来るはずです」
いつの間にか、日は没していた。
「私自身、まだ未熟で、このように自分に言い聞かせているのです。ですから、だいぶ長くなってしまいましたね」
そういって先生は恥ずかしそうに微笑んでいた。
「ずいぶんお引き止めしてしまいました。お詫びと申してはなんですが、どうぞ、お夕食を召し上がってください」
女性は恐縮しきりだったが、夕餉を食べ終わると、すっきりした表情で軽やかに帰っていった。