先生は『先生』と呼ばれる事がお好きではない。
「人を教え導くまでの成長に至っていない」
と、お考えだからだ。故に子粛と私が弟子入りを願った折も容易にお許しにならなかった。
「好んで人の師となり、教えよう導こうという性向の方々が居ります。かつて、この私もそうでした。ですが、
人を導く前にまず自分の家を整える必要があると気付いたのです。
私は世のため人のために役立つ人間になりたい。自分を少しでも磨こうと学んでおります。私こそ弟子です。
世には至る所に師がいらっしゃいます」
先生は今でも弟子を取られない。私達もお許しを頂いたわけではない。ただ、
「皆さんより幾らか早く生まれ、幾らか長く、この世にいるのは事実ですが・・・・・・」
私達は叱られても『先生』と呼び、先生はこのように観念された。