1987年晩秋に中華人民共和国の“上海・蘇州(太胡)”へお客様と共に訪中した33年前の
話です。
当時の中国は今の様にアメリカに次ぐ経済大国ではなく、まだ社会主義がバリバリな体制で
日本および西側諸国とは大きく違っていました。
人々の服装も人民服、人民帽を着用した方を多く見受けられました。
通貨も自国民用は人民幣、外国人には兌換幣で区別されていました。
そして古き良き悠久の大陸や歴史、食事、中国でしか手に入らない土産など魅力満載の国であったと思います。
あの当時の中国を見て今の経済発展を誰が想像できたでしょうか?
ここ数十年日本を抜いて経済大国に躍り出た中国の民は訪日人数も急増して「爆買い」などの言葉ができるほど大きく日本の経済を支えてくれました。
中国マネーにどれだけ日本の経済が依存していた事か・・・計り知れません。
今や中国がくしゃみすると日本は風邪をひくなんて言われていますよね。
一時、中国からの訪日客のマナーなどが問題になりました。
その当時の日本人観光客の様子を知る私としては訪日中国人を笑うことはできません。
もちろん、当時の日本人に悪気があったわけではありませんが、かなり当時の中国人に迷惑や嫌な思いをさせてしまったと感じています。
「金を払ってるんだから」と云う意識が当たり前でしたし、日本ではまだバブリーが続いており
いきなりお金を持った成金の方々が海外旅行に出かけていたわけですから。
その割に当時の中国人たちはそんな日本人に対して「寛容だったな」と今になって思います。
歴史を振り返ると、先の戦争で日本軍は散々中国大陸で好き勝手をし、戦争が終わったら
日本へ戻りました。
その際に取り残された中国残留孤児を少なからずとも育ててくれた人たちです。
もしこれが、逆の立場だった時、日本人ならそのような中国人孤児の世話はしないだろうと
その当時の日本人達も言っておられたのが印象的でした。
お客様と訪中した際の話に戻ります。
色々国の体制、文化の違いもありましたが、同じ漢字圏、お箸の国という事もあり
本当に好きな方は何度も訪中していた方もいましたが、逆に衛生的な面や環境など受け入れ難い場合「二度と来たくない」と云う方も同じぐらいにいたと思っています。
そんな中国でしたが、仕事で訪中している私からして異体制の衝撃は、まず観光スポットや
食事内容など現地に着かないと決定されない事、そして国家公務員である通訳が必ず随行すると云う事でした。
社会主義国家でしたから現地の旅行社も国営、今でいうガイドさんも通訳として国家公務員のエリートが必ず団体に就いて来てました。
外国人は建前上、勝手に中国国内を廻っては行けなかったのです。
経済至上主義の日本人には到底理解できない事ばかりでした。
そんな彼ら(随行/ガイドさん)は日本語を話しても即日本が好きかと云うとけっして
そういうわけでもありません。
当時の中国では、国が「あなたは英語を学びなさい!」「あなたはフランス語を!」
「あなたは日本語を」と云うように自分の意志とは関係ない言語を学習させられていました。
仲良くなった中国の随行(ガイドさん)のほとんどの方が日本に行ったことがないとか・・・
それが普通の事でした。本当に優秀な方たちばかりです。
また、その昔旧日本軍に祖父が殺されながらも日本語通訳になった随行もいました。
そんな社会体制を一般の日本人は理解できる方はいなかったので、大半の日本人観光客は
“日本語を話す=日本大好き”、“日本語話す=日本文化&日本食大好き”と云う思考回路になっていました。
ただ、随行(ガイドさん)は日本語と同時に日本人の思考や行動パターンも学習しています。
日本人観光客からの日本に関する質問に「ワタシは日本が大好きです。
日本人が大好きです。日本食が大好きです。日本人は親切です。」などこれを言えば日本人が喜ぶ事も熟知していました。
さて、この時の随行は女性の方で容姿も清楚で聡明な方でした。
チョウさんと呼んでいました。(漢字は、張?、趙?)
話す日本語も大変綺麗でした。
確か中国東北地方出身だったと記憶しています。
中国旅行の間、日本人観光客の面倒をよく見ていただき、参加のお客様からも人気がありました。
ある日終日観光と其の日の夕食も終わり宿泊ホテルに戻ってきました。
ロビーでお客様がエレベーターでお部屋に戻られるのを彼女と私二人で見送りました。
その後、明日の行程打合せをチヨウさんの部屋ですることになりました。
打合せも終わりお互いたわいのない話しをしばらくの間していたと思います。
その際、中国の歌の話になりました。
経緯は全く覚えていませんが、「大海啊故郷」と云う歌を教えてくれました。
実際に彼女が唄ってくれ歌詞も書いてくれました。
そして・・・その後、ベッドの中で二人一緒に朝を迎える事になります。
当時の中国事情で考えるとこの行為は重罪級の事件となります。
夫婦以外の男女が同じ部屋に泊まるという事が法律を犯す事だったからです。
もし、その時中国当局に摘発されたら・・・想像しただけでも恐ろしいです。
死刑迄いかなくともそれに近い罪を負わされることになったと思います。
なので・・そんな自国の事情を知っているにも関わらず、彼女の決断に申し訳ない気持ちでした。
その後、しばらく中国の地方都市をまわり、とうとう日本へ帰国の日、空港で彼女ともお別れです。
それまでも彼女はあの日の夜の事は一切口に出しませんでした。
出発空港でもいつもの変わらない笑顔で見送ってくれたのを覚えています。
正直、その後の彼女の事がしばらくは気になっていました。
但し、以降彼女と連絡することも会う事もありませんでした。
あの時教えてもらった「大海啊故郷」。
Youtubeで見つけました。可愛らしい少女が唄っています。
♪大海(ターハイ)、啊(ア)、大海(ターハイ)♪~
騙されたと思って是非聴いてみてください。心が洗われます。