すっかり放置でしたが、記録も兼ねてボチボチ再開しようかなと。

長男の熱性けいれんから時が止まってましたが、あれ以降、熱性けいれんは起こらずです。

心配して下さった方もいらしたはずなのに、その後を綴れず申し訳ありませんでした。

長男は5歳、来年度には年長さんです。
双子は3歳、長男と同じこども園に通ってます。

病気も怪我も多く、ひやひやしながらも、なんとかここまで来たなといったところです。

2018年は怒涛でした。

長男の入院に始まり私の母の他界。

母の他界から1ヵ月の内に身内を母含め3人見送りました。

精神的にも肉体的にもギリギリの状態で仕事と家事育児、どう乗り切ったのか覚えてない程疲弊してました。

秋には愛猫を亡くし、仕事は実質的にクビになり(子供の病気・身内の不幸での度重なった欠勤が原因)、ざっと書き出してもてんこ盛りですね。

辛く悲しい現実もなんとか受け止めながら、楽しいことも沢山ありました。

趣味というよりライフワークに近いかな。

心の糧を見いだし、人生なかなか盛り沢山だなと実感するようになりました。

そちらの話もまた追々。

流行に乗っかり、明日から長男はインフルエンザで学年閉鎖が決定。

双子も一緒に今週いっぱいはお休みとなりそうなので、急いで眠る必要もなくなり近況報告でした。

※1月から、再就職してます。




ご心配をおかけしました。
昨日(12日)、退院しましたのでご報告を。
以下、入院中に下書きしていた内容を記録のためにもupします。





入院当日(9日)は、恐らく急性期の子供が集められた大部屋のようなところに入院となり、長男は次第に痛いだの、イヤ(診察が)だの、喋り出したかと思えば興奮状態で、喋りっぱなし。

カーテン越しに何人も患者さんがいたので、夜中に申し訳ないなと思っていたら(赤ちゃんや幼児ばかりだったので余計に)、やはりうるさ過ぎたようで、大部屋の一角にある個室へと移動するよう指示が。

個室に移り、1時位(時間が曖昧)~5時まで寝てはくれた長男、5時に目が覚めそれからずっと喋りっぱなし。

ろれつが回ってない感も去ることながら、話の内容が幻覚が見えてるのかなと言う感じで(猫がベッドの下に落ちていったとか、ベッドから落ちる!落ちる!と震えたり)、本当にこの子、この先大丈夫かと不安に。

まぁ、でも、意識は戻ったし、うるさい程喋るし、一先ずホッとしていた。

救急搬送後、直ぐにしたインフルエンザ検査は結局陰性だったが、朝一で再度検査したいと言うことで採血とその検査があり、インフルエンザはやはり陰性。

が、血液検査の結果、血小板の数値がずば抜けて低く、熱せい痙攣より血小板の方が気になると。

近くに血液専門の先生がいるからと大学病院に転院が決まり、搬送翌日(10日)のお昼に転院。

因みに血小板の数値は158000~348000が基準値らしいが(単位の読み方が不明)、長男は9000と1/10以下。

転院後の採血では26000に上がっていたものの、やはり帰宅できる程の数値ではなく、暫く入院して経過観察となり、現在も入院中です。

一度帰宅し、入院準備をしてもどると診断名の書かれた用紙が置かれていて、
1・特発性(免疫性)血小板減少性紫斑病(ITP)
2・熱せい痙攣重積
3・アデノウイルス感染症
との診断名が。


ここまで下書きしてました。
これ以降も気力と時間があればまた書きます。
長男、9日(火曜日)に熱せい痙攣のため救急車で運ばれ入院となりました。

その日は朝から双子兄が発熱で、仕事始めて初の欠勤になってしまうなと自分のことばかり気にしていたら、長男が『僕も熱ある~』と言い出し、冗談かなと思いながらも計ってみると38度越えてて、あららとなり、小児科を受診。

発熱は二人とも8度前半だったのでインフルエンザの検査もなく、いつもの風邪薬をもらって帰宅。

帰宅後には40度になってたので座薬を差し、そのまま長男はご飯も食べずに昼寝。これが11時半頃だったように記憶。

で、15時頃、39度9分だったので座薬を差したかったけど、6時間空いてなかったので様子を見守る。

18時、オムツがパンパンだったのと(受診の時、おしっこが間に合わないといけないので念のためオムツで外出していて、帰宅後、即昼寝だったのでオムツのままでした。本人の名誉のために一応)、比較的元気だったので入浴(しかも長風呂になってしまいました)。

今思えばこれ(入浴)が一番の要因だったんじゃないかなと、素人考えですが。

19時、ソファーでうとうとしてる長男にアクエリアスを飲ませ、その2分後、まぶたが一定周期でピクピクしているのに気付き(両手もピクピク)、名前を呼ぶも体を揺らすも反応なし。

長男、以前より高熱を出すことがあり、いつかなるかもなと常々思っていて、その日も何となく気になりYouTubeで熱せい痙攣の動画を改めて見ていたのもあって、『あぁ、熱せい痙攣だ!』とすぐ気付いてスマホで長男の痙攣を録画。5秒位で吐き戻したので、悠長に録画してる場合じゃないなと(後々実は重要になるので、数秒でも撮っておいて正解だった)、長男を仰向けから横向きに体勢を変え、吐瀉物が詰まらないようにしながら、床やらソファーを拭きつつ、双子が泣き叫ぶなか(双子も体調不良)119番。

熱せい痙攣くらいで救急車を呼ぶなと叱られたとのネット情報もあり、一応、救急車に来てもらった方が良いのか最初に確認。救急車で運びますとの返事あり。

おそらく通報から救急車到着まで10分位だと思うが、その間も痙攣が治まらず、『あれ、熱せい痙攣って5分位のもんじゃないの?』と不安に。

気付けば唇は紫、体温も額に汗が出ているにもかかわらず8度2分(数値曖昧)と低くておかしいなと思いつつ、救急隊が到着する頃には痙攣は治まり、『あれ?寝たの?』という感じに。ただし、体を揺すって声掛けしても反応なし(本当は痙攣中に体を揺すったり名前を叫んだりはNGのよう。それが刺激となり痙攣が治まらない恐れがあるらしい)。ぐったりしている。

現状を聴かれ、ピクつきはなくなったが意識なくぐったりしていると伝えるも、長男を見た救急隊の方は『まだ痙攣してる』と。

経過を聴かれたりがあり、主人がまだ帰宅していなくて双子だけを残して救急車には乗れないので(双子連れて救急車に乗るのもダメだった)、長男のみ救急車で運び、後から双子を乗せ自家用車で追いかける形となる。

救急病院到着後、受付にて名乗るとICUに通され『あぁ、これは本当にヤバいやつだな』と思い、泣きたくなる。

そして、なんと運ばれてからも痙攣が続いていたと聞かされ(続いていたのか、一度治まったのに何度か痙攣を繰り返していたのかは解らないとは言われた)、ますます、『ただの熱せい痙攣じゃないな』と。

インフルエンザによる脳炎とか脳症の類いじゃないのかと。

そうなると、後遺症とか、、、。

一瞬で色々良くないことが頭の中でぐるぐる。

長男の症状は熱せい痙攣の重積と呼ばれるらしく(痙攣の時間が長い)、再度痙攣する可能性があったり後遺症云々が心配なのでと、この時点で数日の入院が決定。

集中管理(ICU ではないが、重傷者などが一ヶ所に集められた部屋)なら付き添いなし、集中管理でなければ24時間身内の付き添い必須と言われ、その基準が長男の目の動きで決まるらしく、何度も何度も瞼をこじ開けられ、なんとか重傷者の類いからは外れ、24時間付き添いの方になりました(この時、スマホで撮った痙攣の様子を医師が確認。役に立ちました。もし、痙攣の様子を撮ることがあれば、目の動きを確認したいらしいので参考まで)。

長くなったので続きはまた。

怒涛の一年が過ぎ去ろうとしています。

仕事を始めて1ヵ月、想像以上にてんやわんやだったな。

特に帰宅してから寝るまでがノンストップで、、、、。

子供たちも長い保育時間に疲れが出て、家に着く車のなかからグズグズ、ギャーギャーとなってしまうこと多々で、みんながこんな思いをしてまで母が働く意味ってあるのだろうかと悩んでみたり。

でもきっとみんなで乗り越えて、何年か経ったらみんな強く逞しくなって、ドタバタな日々もいい思い出になっているはずと信じて頑張るしかないんだよなと。

そんな毎日ですが、なんとか年賀状も投函し、無事一年が終わろとしています。


ご縁のあった全ての方に感謝しています。


ありがとうございました。


普段孤独に育児しているなと泣きそうになることも沢山沢山ありますが、決してそんなことはなくて。

幼稚園や保育園の先生は勿論、ご近所さんやスーパーで声をかけてくれるおばさま、レジのおばさま等々、本当に多くの方々に助けられてなんとかやってこれたのだとつくづく思うのです。


子供たちにも感謝です。


特に長男には。


まだまだ甘えたい年頃なのに、頼ってしまう場面が増えました。


ありがとう。



















さて、来年はどんな年になるかな?




気が付けばもうすぐ12月。

まめに息子たちのことを書きたいのに、本当に時間がない。





双子は9月に2歳になり、双子兄はアンパンマンのだだんだんのおもちやに夢中。

遊び方がダイナミック過ぎて、長男のお下がりのはあっという間に破壊され、新調された2代目だだんだんも瞬殺。両腕がもげ、なんとも気の毒なお姿に。

双子弟は相変わらずの毛布っ子。

どんなに泣いていても、さっと毛布を差し出すと、スンスン言いながら泣き止みます。





そんな双子は11月から保育園に通ってます。

家計が主人一人の稼ぎではもう限界というのが第一の理由。

収入がギリギリ多方面の補助とか免除に引っ掛からないパターンのやつで、長男の幼稚園入園がだいぶ家計に響いてます。

就園奨励費も勿論対象外。

それと、家にいてもほぼ一日中、家事・育児に追われて双子とまともに向き合ってあげる時間がなくて、結果、放置の状態がどうにもこうにも気になって。

長男が2歳の頃、双子が生まれ、長男の相手ができず、色々教えたり、遊んだり、外に出たり、他の2歳児が当たり前に経験することをさせてあげられなかった強烈な懺悔の念。

物理的に無理で仕方のないことだったのだけど、その時のことを今、凄く凄く後悔していて、あの時、もっと外の世界との関わりがあれば、長男はぐっと成長できていたのかもなと思うのです。

理由は一つではないのだけど、双子が保育園で沢山の刺激を受けて成長してくれればいいなと。

で、入園後3ヵ月以内に就職できないと、どうにかこうにか入園できた保育園も退園になってしまうので、必死で就活。

おかげさまで就職先も決まり、あとはクビにならないよう頑張るのみ。

でも、長男の妊娠を機に仕事を辞めもうすぐ5年。

パソコンとは無縁の毎日だったから(いや、そもそものスキル自体がかなり怪しい)、正直不安。

朝も子供たちの準備、間に合うかドキドキ。

今、4:30起きだけど、多分それじゃ間に合わない、、、。

 
心配は尽きないけど、頑張るしかないんだよな。

あ、因みにパパはあてにならないので、居ないものと考えてます。






そして、長男、11月に4歳になりました。

はぁ、早い。

本当に本当にあっという間の4年。

他と比べるとゆっくりの成長だけど、確実に成長しています。

多分、何年かしたら、なんであんなに悩んでたんだろう?と思うんだろうなと。

そんな気がします。

このケーキが思いの外美味しくて、子供たちもよく食べた。




芋掘り参観日で。沢山採れました。
自分で掘ったからか、普段なら決して口にしないさつまいもを『美味しい!』と言って食べます。

双子の写真、全く最近のがない!
これは10月に実家に帰省したときのもの。
ときわ公園で。
10月なのに真夏の暑さでした。双子兄。

双子弟はこのオブジェが気に入って、降ろすの大変だった。

窓に長男もチラリ。

そして母はAAA のライブへ。
いやー、にっしーが素敵過ぎて幸せでした。