年末になると
歌番組が増える
運転中に聞こえてきた
アンジェラアキさんの
「手紙〜拝啓十五の君へ〜」
私の好きだった歌だ
運転しながら聞いていて思い出した
マイナス感情。
辛い…。
そう。
私、カラオケ行くと苦しくなっていました。
その場にいることも出来ないくらい
苦しくて辛くてあの空間にはいられない
周りはみんな楽しそうに歌う。
歌いたい曲もどんどん入れている。
盛り上がって楽しそう。
でも、私は帰りたくてしかたなかった
歌わないで帰ることがほとんど
歌うことが怖かった私。
その記憶を久しぶりに思い出した今日。
でも、辛かった記憶を思い出して
・あ〜あの頃は歌うの怖かったな。。。
・途中で帰ることもよくあったな。。。
・飲み会後、カラオケ行くの嫌で帰りまーすって帰ってたな。。。
・苦しくて泣いたな。。。
そんな私、あの頃頑張ってたな
と、自分をねぎらい、褒めてあげた。
すると・・・
歌ってみたいな…
という気持ちが少し出てきた。笑
子供の頃は
吹奏楽部の他に合唱部にも所属していた。
そして、意外にバレースポーツ少年団にも(笑)
やっぱり音楽の方が好きで、
1500名ほど入るホールで歌ったり
楽器吹いたり、コンクール出るのも
大好きだった
元々は好きだったんだな〜歌うの
ということも、思い出した。
色々思い出しながらの運転。
そして今、ブログ書きながら
なぜ、歌えなくなったか…苦しくなったか…
掘り下げている自分がいます。
色々思い出す
ドはドの音じゃないといけない。
ドだけど、レに近いドもシに近いドもダメ。
ピッタリのド!!!
微妙な音のズレにも敏感になっていた。
「音をはずしてはいけない」
「綺麗に(上手に)歌わないといけない」
「綺麗に(上手に)吹かないといけない」
「綺麗に(上手に)弾かないといけない」
◯◯しないといけない!!
に縛られ、苦しみ、辛くなっていた
(否定リスト入りだ…)
音を楽しめなくなるはずだな
20歳の時に、トランペットやめたのも
音を楽しむことが出来なくなった。
ドはピッタリのドを出さないといけない!!!
というような思考が、苦しかった。
そして、それを求められる環境だった。
そのピッタリ音を当てることは大切
それはとーーーっても分かる。
理解できる。
ただ、今思うことは
その時の私自身の捉え方があまりにも
極端に否定的に捉え過ぎて、
自分を追い込んでいたんだなとも思う。
音楽に対してだけではなく
生き方も。
全てに繋がるんだな。と気付いた今日。
安心感・つながり感・自己肯定感
私の心のベースになかったもの。
今は、歌いたい、弾きたい、吹きたいという
意欲も出てきている
音楽完全に辞めて
20年たってようやくここに辿り着けました(笑)
見たい聞きたい歌いたい!!
THE夜もヒッパレ
懐かしぃ〜(笑)
同じ世代の方はご存知ですよね
いつかカラオケ行ってみよう