12月11日、母は亡くなりました。
今思えば、最期を看取りたかったけれど、父はまだ幼い私と弟に、母の最期を見せたくなかったらしく、いとこの家で叔父叔母から母の死を聞きました。

事故で首の骨が折れ、生き延びても植物人間だったと。最期は管を抜き、その管からはあらゆる体液が流れ出て、見るに見れなかったそう。

数日ぶりに自宅へ戻ると、そこには変わり果てた姿で眠る母。顔は浮腫み、違う人を連れてきた?と思うくらい本当に変わり果てた姿でした。

お通夜、お葬式の日は雨。
雨の中、たくさんの方が来てくれたのを覚えています。
私を抱きしめ、涙してくれた方がたくさんいました。

どれだけ泣いたのか、泣けたのか、きっと理解しきれていなかった自分もいた気がします。

ショックすぎてか、母と過ごした日々の記憶がありません。
母が事故してからの記憶はあるのに。

父子家庭の生活が始まりました。
小さな手で自分の髪を束ね、熱が出てもランドセルを背負って1人で小児科へ。
その頃の私は黄色い分厚いタウンページが頼りでした。
同じ住所の所なら自分で行ける!
美容院も自分で探して自分で電話して自分1人で行く。

きっと私なりに気を張っていたのかな。
ある時から周りの声がやたら早口で聞こえてきて、耳を塞ぎたくなることが…
どうして良いかも分からず1人小児科へ行きました。
Dr.もハッキリした病名が分からない。
でも、
「またそんなことがあったら先生に電話しておいで!」
と先生の電話番号を書いたメモをランドセルに入れてくれました。
私にとっては御守りみたいだったのかな。

母が亡くなり、寂しさを友達に頼りすぎていたのか、イジメが始まりました。
それまで1番仲良しだった友達から。

父にはもちろん、誰にも言えず、ただただ不安や恐怖の中、学校へ行っていました。

それは小学3年生から中学卒業まで続きました。
いわゆる、集団シカトから始まり、、、
高校へ行けば、また違う子からのイジメ。
お昼は暗い部室で1人でご飯食べて。
仕事で早く家を出る父にはウソをつき、高校を休むこともしばしば。

1番の青春時代…何やってたんだろ。

この経験からか、私はいつしか必要以上に他人の目を気にして生きるようになりました。
どう思われるのか?どう思われてるのか?
自分が悪いのか?
相手の機嫌ばかり気にしながら生きるようになりました。

つづく、、、