とにかく仕事が忙しい。

仕事が忙しくなればなるほど、自分はいま何をやっているのだろうか。なんの才能もなく、なんの取り柄もない。誰から好かれるわけでもない。本当にこれが自分の人生なのか?と自問自答する瞬間が多くなる。

こんな青く拙い感情は社会人になって5年もすれば跡形もなく消えると考えていたが、残念なことにまもなく34歳になる現在でもハッキリと姿を現わしてくる。


大学生の頃は良かった。

もっと言えば高校生の頃は良かったし、もっともっと言えば中学生の頃は良かったし、もういくとこまでいっちゃえば小学生の頃は良かった。


1999年小学6年生の春と秋は、少年野球をやっていた私にとって最高の年だった。

常にレギュラーであり、打順は3番であり打率は4割を超えていたし、エースは学年一の人気者の村田くんが不動だったが、村田くんがケガをしたときは必ず私が投手だった。

我がタイガースが18年間勝つことができなかったジャイアンツを倒した時、7イニングを2失点で切り抜け勝利投手になったのはまぎれもなく私だった。



思い出深く忘れられないこともある。

あの年、春の大会で優勝した我が球団は、秋の大会でも決勝進出。

決勝の相手の投手は巧みな変化球を操り、エース村田くんと壮絶な投手戦となった。


一点を争う緊張感が張り詰めていた。

打線の援護がなくとも村田くんは投げ続け、取れない分をチーム全員が守る。敵味方ともにそんな戦いとなった試合は、延長戦へ突入。

サドンデスルールというノーアウト満塁からスタートする特殊ルールで2点を失った我々は後がなくなった。



1アウト満塁。

打席には村田くんが立ち、その次の打順は私だった。

確信があった。自分がヒーローになるのだ、と。


だが、村田くんが放った会心の打球は無常にもセカンド正面へ飛び、ダブルプレー。

こうして小学生活の野球が終わった。


言葉が出なく、呆然としていた。


時間が止まったような感覚の中、顔を涙でくしゃくしゃにした村田くんが私へと近づき、泣きながら「ごめんね」と言った。

その瞬間、涙が止まらなくなった。

それがどんな感情なのかは幼過ぎてわからなかったかもしれない。だがとにかく泣いた。

チーム全員が泣いていた。


補欠で嫌々チームにきていた新井たかゆきくん以外全員泣いていた。


そんな我々に、試合を観に来ていた地域のおじいちゃん達が言う。

「良い涙だぞ!」

と。



あれから22年。


村田くんは結婚をし、仕事で成功し、順風満帆な日々を送っている。

それからの人生を変わらぬ人望と惜しまぬ努力で過ごした彼には、いまや政界へ進出するのではないか?という憶測まで飛んでいる。


村田くんはあの日をいまも覚えているのだろうか。

何にせよ、彼の歩みは止まらない。



反面私は、今も1999年の秋に取り残されている。