子供の頃から見続けてきた駅前の時計台の時計が撤去された。

もう1年以上、4時12分から時計の針は動いていなかったが、ついに時計自体がなくなることになった。


過去で時が止まる、ということはこのマジックリアリズム溢れる現代社会ではもはやよくあることだが、時計台の時刻が完全に停止している様はとてもこの世界において逆行的で、それはそれで好きだった。


だが数日前に朝その場所に目をやると、大きな楕円形の時計だけがその場から姿を消していた。


何十年もの時を刻んできたことを表すように、時計がそれまであった場所にはくっきりと痕が残っており、その跡地部分だけ壁紙の色がやたらと綺麗に光を発していた。



時計というものはこの世の叡智が詰まっているともいえるほど、精密に部品が積み重なってできている。

だからちょっとしたきっかけで壊れてしまうのは当たり前といえば当たり前だ。

だが時計が刻む時間自体にも、どうやら限りがあるようだ。



時間にも寿命がある。



小さい頃からこの街に住んでいる。

それなのにこの時計台へと続く道の両脇にある建築中の土地に、以前何が建っていたのかも全く思い出せない。


これは寿命を迎えたのは私の記憶か。それとも時間か。



私はあと何年生きていられるのだろうか。

馬鹿げてはいるかもしれないが毎日考えている。