海の家の料理の人気ランキングは!?
という内容のテレビ番組を観て、そもそも海にいくこと自体が少なかった自分は何か海の家で料理を食べたことがあっただろうかと思い返してみることにした。
すぐに蘇った記憶は高校2年生のときだ。
この年同じクラスの男子4人で九十九里浜に遊びに行った。
私の当時の交友関係といえばとても狭く、友達もあまりおらず、お分かりの通りカースト上位からは程遠い位置にいたと思う。
かと言って無理に焦る必要はなく、そもそも男子校だし、恋愛なんてものは翌年の高校3年生になるまで無縁だったし、カーストの下部に甘んじようがそれで不遇を受けるわけではなかったので特に不便はなかったように思える。
そんな時代の数少ない友人達と遊びにいった海は楽しかった。
昼になり、海の家でご飯を食べようと各々が好きな物を注文し席につくと、友人の1人のヒロオが「金がないから」とおかず無しで白米だけを購入しているのを目にした。
「お前白米だけて…」とドン引きすると、ヒロオは「お前のラーメンのメンマだけくれない?」と言った。
私はそもそもラーメンにメンマは必要ないので、「全部あげるよ」とありったけのメンマをヒロオの白米に載せた。
するとヒロオは「もっと汁につけてくれ」とメンマを再び私のラーメンスープにひたし、あらためて白米の上に乗せた。
その行為に私はとてつもなく嫌悪感を抱いてしまった。
以来、誰にもメンマはあげていない。
数年前に水曜日のダウンタウンで水玉れっぷう隊のケンが、食パンを他人が食べたカレーの残骸のルーに擦り付けて食べているのをみた。
本当に気持ちが悪かった。
それは貧困を経験していないからだ、だのフードロスだのと私に対し否定的、あるいは時代に肯定的な人たちもいるのかもしれない。
それでもあまりにも不快で気持ちが悪い。
武士は食わねど高楊枝とは素晴らしい言葉だ。
大人になり、自分の稼いだお金で食っていけるようになったからこそより思う。
誰に何をあげるかの選択権は自分にある。
俺は誰に食べ物を分けるのかは自分が自分のタイミングで決める。
それからメンマは美味い。
ヒロオについてはあらためて語る場をいただけると幸いです。
という内容のテレビ番組を観て、そもそも海にいくこと自体が少なかった自分は何か海の家で料理を食べたことがあっただろうかと思い返してみることにした。
すぐに蘇った記憶は高校2年生のときだ。
この年同じクラスの男子4人で九十九里浜に遊びに行った。
私の当時の交友関係といえばとても狭く、友達もあまりおらず、お分かりの通りカースト上位からは程遠い位置にいたと思う。
かと言って無理に焦る必要はなく、そもそも男子校だし、恋愛なんてものは翌年の高校3年生になるまで無縁だったし、カーストの下部に甘んじようがそれで不遇を受けるわけではなかったので特に不便はなかったように思える。
そんな時代の数少ない友人達と遊びにいった海は楽しかった。
昼になり、海の家でご飯を食べようと各々が好きな物を注文し席につくと、友人の1人のヒロオが「金がないから」とおかず無しで白米だけを購入しているのを目にした。
「お前白米だけて…」とドン引きすると、ヒロオは「お前のラーメンのメンマだけくれない?」と言った。
私はそもそもラーメンにメンマは必要ないので、「全部あげるよ」とありったけのメンマをヒロオの白米に載せた。
するとヒロオは「もっと汁につけてくれ」とメンマを再び私のラーメンスープにひたし、あらためて白米の上に乗せた。
その行為に私はとてつもなく嫌悪感を抱いてしまった。
以来、誰にもメンマはあげていない。
数年前に水曜日のダウンタウンで水玉れっぷう隊のケンが、食パンを他人が食べたカレーの残骸のルーに擦り付けて食べているのをみた。
本当に気持ちが悪かった。
それは貧困を経験していないからだ、だのフードロスだのと私に対し否定的、あるいは時代に肯定的な人たちもいるのかもしれない。
それでもあまりにも不快で気持ちが悪い。
武士は食わねど高楊枝とは素晴らしい言葉だ。
大人になり、自分の稼いだお金で食っていけるようになったからこそより思う。
誰に何をあげるかの選択権は自分にある。
俺は誰に食べ物を分けるのかは自分が自分のタイミングで決める。
それからメンマは美味い。
ヒロオについてはあらためて語る場をいただけると幸いです。