7月に入るやいなやゲリラ豪雨がやたら降るようになった。

新潟駅前のローソンで購入した安い折り畳み傘が2カ月前に壊れてからというもの、特に代替品を買わず、
仮に雨が降ろうものなら最寄駅まで走るという、中年サラリーマンとは思えないワイルド芸人プレイを行っていたが、さすがにこのゲリラ豪雨には太刀打ちができない。

そのためゲリラが襲撃する度にコンビニに寄って傘を買っていたところ、なんと家に傘が11本もある状況になった。

都会では自〇する、若者が増えている。

今朝きた新聞の片隅に書いてある。

だけども問題は今日の雨

傘がない。


井上陽水の名曲“傘がない”

ここでは身を守る術をもたない若者の心情と社会問題を掛け合わせ、どこか“小説を聴く”ように井上陽水が歌いあげる。


で、あるならばこの傘をたくさん持ち、都度買うこともできる私は、鉄壁の盾を持つ富豪だ。

つまり逆説的にいけば、私が傘を買いまくるせいで、都会の若者の自〇は減少傾向にあるといえる。


すごいことだ。私こそが政治家になるべきだ。

冗談はさておき、この傘をどうするかは悩みどころだ。

メルカリで転売しようかと思ったが、それはあまりにも惨めな気がしてやめた。


最近は男性も日傘をさすという。


それが当たり前の世の中になった。

男だから、女だからというボーダーはもうないのかもしれない。


誰かが、孤独に弱さに苦しむ必要はなくなったのだ。


そういうことだ。



傘は、ある。