賛否両論、大阪万博。
"大阪万博 評価"なんかで検索をかけると、結局大阪万博は最悪だという意見と、いや、言うてそれほど悪くはなかったよという意見が散乱しており、もはやこれも来てみてくださいという宣伝なのではないかと疑ってしまうほど何がなんだかわからない。
一部では苛烈な維新政党の信者が、万博に否定的な意見を述べると集団で襲いかかってくるなんて話もあるが、それもひとつのパビリオン…大阪パビリオンといったところなのかもしれない。
もう何度もこの話をしてしまって恐縮だが、2005年のGW過ぎに、私は愛知万博を訪れることになった。
クラスメイトだった嶺がオンラインゲームで知り合ったオジサンに会いにいくとのことで、そのついでにと本間と鹿間くんと伊藤さてらと共についていった。
2005年は大学受験を間近に控えた学生で、本来その時期は1ミリも遊ばずに勉強をすべきところにもかかわらず、私はそうやって愛知万博に行ったり、他のGWは全て千葉の旭町にK-DOJOの興行を観に行っていたので、そりゃあその後の人生が苦労するに決まっていたわけだ。
余談はほどほどに、当時の愛知万博では月の石や死海のプールが目玉だったと記憶しているが、両方とも5時間以上の待ち時間で、到底並ぶ気にもなれなかったので、入場と同時に諦めてしまったのを覚えている。
結局記憶に残っているのは、何もしないで帰るのも勿体無いからと全然知らないパビリオンに3時間並び、昆虫の4D映像を見たことと、本間がトルコアイス屋でコーンを強く握り過ぎてトルコ人にめちゃくちゃキレられていたことと、コブクロのライブだ。
この時のコブクロはまだ桜をリリースする前で、現在形のコブクロになりたてくらいの時期であり、私たちからすれば"名曲だらけ"のコブクロではなく、"エール"のコブクロであった。
私自身はエールは全然好きじゃなかったが、よく同級生の群司がカラオケでエールを歌っていたので頭に残りやすかった。
だが我々がコブクロライブにたどり着いた時にはどうやら既にエールは終わっており、黒田と小渕がやたら長々とMCをしていて、この人たちは歌手ではなくイベンターの人なんだと思ったものだ。
「なんだよコブクロかよー。冴えないなあ」
「B'zだせよB'z」
なんてことを鹿間くんと喋りながらライブ会場を後にし、万博も特に楽しいこともなく終え、宿泊先のホテルで夜鹿間くんとAVを観た。
なぜかバスローブ姿になった鹿間くんはAVをみながら「うわー!」とか「きゃー!」とか騒ぎながら顔を覆ったりしていた。
私が「おい、チンコ勃ってんぞ」と彼の下半身を指摘すると、「ふっっざっけんっなよっ!!!!!!!!!」とめちゃくちゃブチ切れていた。
翌日、鹿間くんがフロントで有料のAV視聴料を顔を伏せながら支払い、私たちの万博は幕を閉じた。
連れていってくれた嶺には感謝しているし、嶺のオンライン友達のおじさんもすごく良い人だった。
本間は旅の最中ずっと面白かったし、鹿間くんとはその数年先まで仲良く年に一度コナンを観に行くくらい友情は続いた。
伊藤さてらは、ずっと無口で、鏡を見て歯の歯垢をとっていた。
きっと万博は思い出なのだ。ゴールドエクスペリエンスなのだ。それで良い。
何がどうではなく、訪れたことに対する。
だからこそ、利権なんて欲してはいけない。
大阪万博は、あまりにも騒がれすぎた。
騒動が思い出を凌駕しようとしていく。
"大阪万博 評価"なんかで検索をかけると、結局大阪万博は最悪だという意見と、いや、言うてそれほど悪くはなかったよという意見が散乱しており、もはやこれも来てみてくださいという宣伝なのではないかと疑ってしまうほど何がなんだかわからない。
一部では苛烈な維新政党の信者が、万博に否定的な意見を述べると集団で襲いかかってくるなんて話もあるが、それもひとつのパビリオン…大阪パビリオンといったところなのかもしれない。
もう何度もこの話をしてしまって恐縮だが、2005年のGW過ぎに、私は愛知万博を訪れることになった。
クラスメイトだった嶺がオンラインゲームで知り合ったオジサンに会いにいくとのことで、そのついでにと本間と鹿間くんと伊藤さてらと共についていった。
2005年は大学受験を間近に控えた学生で、本来その時期は1ミリも遊ばずに勉強をすべきところにもかかわらず、私はそうやって愛知万博に行ったり、他のGWは全て千葉の旭町にK-DOJOの興行を観に行っていたので、そりゃあその後の人生が苦労するに決まっていたわけだ。
余談はほどほどに、当時の愛知万博では月の石や死海のプールが目玉だったと記憶しているが、両方とも5時間以上の待ち時間で、到底並ぶ気にもなれなかったので、入場と同時に諦めてしまったのを覚えている。
結局記憶に残っているのは、何もしないで帰るのも勿体無いからと全然知らないパビリオンに3時間並び、昆虫の4D映像を見たことと、本間がトルコアイス屋でコーンを強く握り過ぎてトルコ人にめちゃくちゃキレられていたことと、コブクロのライブだ。
この時のコブクロはまだ桜をリリースする前で、現在形のコブクロになりたてくらいの時期であり、私たちからすれば"名曲だらけ"のコブクロではなく、"エール"のコブクロであった。
私自身はエールは全然好きじゃなかったが、よく同級生の群司がカラオケでエールを歌っていたので頭に残りやすかった。
だが我々がコブクロライブにたどり着いた時にはどうやら既にエールは終わっており、黒田と小渕がやたら長々とMCをしていて、この人たちは歌手ではなくイベンターの人なんだと思ったものだ。
「なんだよコブクロかよー。冴えないなあ」
「B'zだせよB'z」
なんてことを鹿間くんと喋りながらライブ会場を後にし、万博も特に楽しいこともなく終え、宿泊先のホテルで夜鹿間くんとAVを観た。
なぜかバスローブ姿になった鹿間くんはAVをみながら「うわー!」とか「きゃー!」とか騒ぎながら顔を覆ったりしていた。
私が「おい、チンコ勃ってんぞ」と彼の下半身を指摘すると、「ふっっざっけんっなよっ!!!!!!!!!」とめちゃくちゃブチ切れていた。
翌日、鹿間くんがフロントで有料のAV視聴料を顔を伏せながら支払い、私たちの万博は幕を閉じた。
連れていってくれた嶺には感謝しているし、嶺のオンライン友達のおじさんもすごく良い人だった。
本間は旅の最中ずっと面白かったし、鹿間くんとはその数年先まで仲良く年に一度コナンを観に行くくらい友情は続いた。
伊藤さてらは、ずっと無口で、鏡を見て歯の歯垢をとっていた。
きっと万博は思い出なのだ。ゴールドエクスペリエンスなのだ。それで良い。
何がどうではなく、訪れたことに対する。
だからこそ、利権なんて欲してはいけない。
大阪万博は、あまりにも騒がれすぎた。
騒動が思い出を凌駕しようとしていく。