LINEをアンインストールした。
正確には携帯が壊れて機種変更をしたが、その後LINEをインストールしなかったが正しい。
私がLINEを入れ出したのは2014年頃だったと思うが、それから10年以上が経過しこのアプリを手放すに至った理由はいくつかある。
もちろん携帯が壊れた、も一つの要因だ。
それ以外にも三つの要因が存在する。
まずは昨日書いたように、私は現在仕事が忙しく、日々の生活が仕事場と自宅の行き来のみとなってしまっている。
仕事中はプライベート携帯はほぼ弄らないし、帰ったら家のことをやり少しだけブログを書きそのまま寝てしまう。
この晩年のベルセルク作者三浦先生のような生活に加え、元来友達があまりいない私は無理に連絡をとる必要がある相手もいないので、正直LINEは不必要だった。
次にこれも以前少し書いたが、24歳の同僚から「いまどきLINEでやりとりなんてしませんよ。それだけでジェネレーションギャップですよ」と言われてしまったことだ。
「いまはなんでもアプリで知り合う時代なんだから。そしたらそのアプリ内のメッセージでやりとりすれば良いじゃないですか。わざわざ一手間加えてLINEに誘導するなんてマジでオジさんしかしないですよ」
これは2014年以来LINE第一主義と化していた私には、胸に刺さる物言いだった。
最後に、グループLINEの煩わしさだ。
昔の勤め先で仲の良かった人たちと何人かでグループLINEを作っていたが、これが毎日10件以上も通知がきて相当しんどかった。
中身もやれあの女とはどうなったんだ、新規の女はどうだ、このギャグは面白いか、面白い話あるから聞いて、だのと到底平均年齢40オーバーとは思えない男子中学生のグループトーククオリティであり、いずれもなんらかのリアクションを求められるものだったので、私の精神は相当摩耗していた。
だがシカトするにも抜けるにも角が立ちそうで非常に困っていたので、そもそもLINEを入れないという選択はあまりにも好都合となった。
そんなLINE無し生活から2週間が経過した。
はじめのうちは全く不自由することがなく、なんならLINEを入れてない自分…というものがどこかカウンターカルチャー的に思えて、自惚れさえした。
しかし2週間経ったいま、私は不自由さではなく、一抹の疑問を抱いている。
LINEが無くても困らない。
これはシンプルに、LINEを入れている全ての人類から、私が必要とされていないだけ、ということなのではないか。
2014年よりも前、私がまだ最後の"甲:ガラパゴス携帯使用者"として活動していた時、11対11の大型合コンでめちゃくちゃタイプ(バレーボールの大友愛似)な女性と出会った。
当然私は超猛アタックを仕掛け、それはもはや"労働"とでも言うべき口説きをし、いざ連絡先を交換しようとした時に彼女から
『LINEだったら良いよ』
と言われた。
「僕はガラケーだからLINE入れてないんだよ」
と答えると
『じゃあ無理だね』と彼女は冷たく断った。
「電話もできる。メールもある。メールアドレスが面倒だと言うのなら、ショートメールだってできる。これの何が不自由なんだろうか。こんなんでネクストがなくなるなんて馬鹿げてるよ」
ハイテンションに言い放つ私に彼女は答えた。
『便利か不自由かじゃないんだよ。LINEを入れているか、入れていないか、なんだよ』
いったい何を言ってるんだこの女は。
令和になってその言葉を深々と噛み締めてみる。
時間と年数を経たいまならば、彼女の真意がわかるかもしれない。
ましてLINEを入れてない今なら。
だが、やはり、彼女が何を言っているのかわからなかった。
要は縁だ。
LINEなんか付録だ。
正確には携帯が壊れて機種変更をしたが、その後LINEをインストールしなかったが正しい。
私がLINEを入れ出したのは2014年頃だったと思うが、それから10年以上が経過しこのアプリを手放すに至った理由はいくつかある。
もちろん携帯が壊れた、も一つの要因だ。
それ以外にも三つの要因が存在する。
まずは昨日書いたように、私は現在仕事が忙しく、日々の生活が仕事場と自宅の行き来のみとなってしまっている。
仕事中はプライベート携帯はほぼ弄らないし、帰ったら家のことをやり少しだけブログを書きそのまま寝てしまう。
この晩年のベルセルク作者三浦先生のような生活に加え、元来友達があまりいない私は無理に連絡をとる必要がある相手もいないので、正直LINEは不必要だった。
次にこれも以前少し書いたが、24歳の同僚から「いまどきLINEでやりとりなんてしませんよ。それだけでジェネレーションギャップですよ」と言われてしまったことだ。
「いまはなんでもアプリで知り合う時代なんだから。そしたらそのアプリ内のメッセージでやりとりすれば良いじゃないですか。わざわざ一手間加えてLINEに誘導するなんてマジでオジさんしかしないですよ」
これは2014年以来LINE第一主義と化していた私には、胸に刺さる物言いだった。
最後に、グループLINEの煩わしさだ。
昔の勤め先で仲の良かった人たちと何人かでグループLINEを作っていたが、これが毎日10件以上も通知がきて相当しんどかった。
中身もやれあの女とはどうなったんだ、新規の女はどうだ、このギャグは面白いか、面白い話あるから聞いて、だのと到底平均年齢40オーバーとは思えない男子中学生のグループトーククオリティであり、いずれもなんらかのリアクションを求められるものだったので、私の精神は相当摩耗していた。
だがシカトするにも抜けるにも角が立ちそうで非常に困っていたので、そもそもLINEを入れないという選択はあまりにも好都合となった。
そんなLINE無し生活から2週間が経過した。
はじめのうちは全く不自由することがなく、なんならLINEを入れてない自分…というものがどこかカウンターカルチャー的に思えて、自惚れさえした。
しかし2週間経ったいま、私は不自由さではなく、一抹の疑問を抱いている。
LINEが無くても困らない。
これはシンプルに、LINEを入れている全ての人類から、私が必要とされていないだけ、ということなのではないか。
2014年よりも前、私がまだ最後の"甲:ガラパゴス携帯使用者"として活動していた時、11対11の大型合コンでめちゃくちゃタイプ(バレーボールの大友愛似)な女性と出会った。
当然私は超猛アタックを仕掛け、それはもはや"労働"とでも言うべき口説きをし、いざ連絡先を交換しようとした時に彼女から
『LINEだったら良いよ』
と言われた。
「僕はガラケーだからLINE入れてないんだよ」
と答えると
『じゃあ無理だね』と彼女は冷たく断った。
「電話もできる。メールもある。メールアドレスが面倒だと言うのなら、ショートメールだってできる。これの何が不自由なんだろうか。こんなんでネクストがなくなるなんて馬鹿げてるよ」
ハイテンションに言い放つ私に彼女は答えた。
『便利か不自由かじゃないんだよ。LINEを入れているか、入れていないか、なんだよ』
いったい何を言ってるんだこの女は。
令和になってその言葉を深々と噛み締めてみる。
時間と年数を経たいまならば、彼女の真意がわかるかもしれない。
ましてLINEを入れてない今なら。
だが、やはり、彼女が何を言っているのかわからなかった。
要は縁だ。
LINEなんか付録だ。