よくいく取引先への訪問を終え、最寄駅への道を歩いていると、目の前を突然女性が塞いだ。
『すみません、この場所に行きたいのですがわかりますか?』
女子大生くらいだろうか。
非常に若い。
私はこのようによく道を尋ねられたり、あの人だかりは何ですか?と聞かれたりしやすい。
それは国内外男女問わずだ。
おそらく私だけではないとは思うが、このようにやたらと話しかけられやすい人間はたしかに存在する。
だがこのように、若い女性に話しかけられるのは珍しいことだった。
彼女は携帯電話の画面を見せてきたが、そこは駅前のケンタッキーであった。
「あー、駅前ですね。こっちですよ」
そう言って方向を指差すと、『一緒に行ってもらえませんか』という。
「ちょうど駅に行くところですので構わないです」と答え、少し歩いたところであらためて
「あの、そのケンタッキーまだ開店前で営業自体がスタートしたないですけどそこで大丈夫ですか?」と伝えた。
彼女の返答は意外なものだった。
『は?いやいや。だからケンタッキーに行きたいって言ってんじゃん』
突然のこの感じの悪さである。
戸惑う私に彼女は続ける。
『ってかこれ絶対こっちの道じゃないですよねケンタッキー』
「いやこっちの道ですよ・・・」
『ほんとっすか?こんな道じゃなかった気がする』
先述した通り、若い女性に声を掛けられることは珍しい。
だがこのタイプのダルさはもはや完全初体験だ。
『ってかほんとにこっちにケンタッキーなんてありました?』
「駅前じゃないなら近くのケンタッキーここから歩いて40分くらいかかりますよ。そっちのこと言ってます?」
『だから駅前だって』
ダメだバグってる。
一体どんな教育を受けたらこんな子に育つのだろうか。
あらためて身なりを確認すると、彼女は一見すると年相応の恰好に見えたがどこか不潔で、なんとなく家に帰ってないのではないかと思わせるものだった。
考えてみると仮に友達と待ち合せであればわざわざ私にそんなことを聞かずともアテンドがそれなりになされるだろう。
ケンタッキーの看板だけ送られてきてここに来て、はやはり違和感がある。
そうなると初対面か。
不潔さも加味すると、マッチングアプリで出会いというよりは、パパ活や円の類いのように思える。
「そこがケンタッキーですよ」
目的地近くまでいくと看板があったので私は指をさしながら伝えた。
『あ、ほんとだ。こんなとこにあったんだ。』
そういうと彼女は私を一切見ることなく携帯を弄りながらケンタッキーへ向かっていった。
「どういたしましてー」
御礼もなかったのでとりあえず背中に向けて嫌味を放ったが、当然彼女はそれを意にも介さなかった。
昨今、もっとも私がジェネレーションギャップを感じたのが「いまどきわざわざラインなんか交換しないですよ。全部DMです」という24歳男性からの金言だった。
「そりゃ家族とか友達はラインですよ?でもアプリで会って、友達になって・・・はDMのみですね」
「え?友達になった後もライン交換しないの?」
「しないですよ。いま“連絡はラインで”なんて言うのは死語ですよ」
恐ろしい話だ。
私の学生時代はメールが全てのツールで、社会人になってラインが全てになった。
だが現在はそれすら通過した過去だと言う。
同時にそれは、もう恋愛はアプリ無しには達成できないということでもあった。
「マッチングアプリが嫌ならインスタとかやんないんですか?出会いの宝庫ですよ」
「インスタなんてAV女優がディズニー行くのを見るためのアプリでしょ?」
「マジで化石ですよ考えが」
道を聞いてきた彼女もたしかにアプリのDMっぽい画面を開いていた。
嫌だなあ、と心から思った。
大学生の頃、2ちゃんねるの代々木公園で鬼ごっこオフ会に参加した。
あの時の参加者の女の子はすごく可愛くて会話も楽しかった。
恋愛にも友人関係にも発展しなかったが、そうなったらきっとわくわくしたであろう。
そういう恋愛がしたい。
はじめから恋愛目的になるマッチングアプリは、どうもロマンを感じることができなかった。
『すみません、この場所に行きたいのですがわかりますか?』
女子大生くらいだろうか。
非常に若い。
私はこのようによく道を尋ねられたり、あの人だかりは何ですか?と聞かれたりしやすい。
それは国内外男女問わずだ。
おそらく私だけではないとは思うが、このようにやたらと話しかけられやすい人間はたしかに存在する。
だがこのように、若い女性に話しかけられるのは珍しいことだった。
彼女は携帯電話の画面を見せてきたが、そこは駅前のケンタッキーであった。
「あー、駅前ですね。こっちですよ」
そう言って方向を指差すと、『一緒に行ってもらえませんか』という。
「ちょうど駅に行くところですので構わないです」と答え、少し歩いたところであらためて
「あの、そのケンタッキーまだ開店前で営業自体がスタートしたないですけどそこで大丈夫ですか?」と伝えた。
彼女の返答は意外なものだった。
『は?いやいや。だからケンタッキーに行きたいって言ってんじゃん』
突然のこの感じの悪さである。
戸惑う私に彼女は続ける。
『ってかこれ絶対こっちの道じゃないですよねケンタッキー』
「いやこっちの道ですよ・・・」
『ほんとっすか?こんな道じゃなかった気がする』
先述した通り、若い女性に声を掛けられることは珍しい。
だがこのタイプのダルさはもはや完全初体験だ。
『ってかほんとにこっちにケンタッキーなんてありました?』
「駅前じゃないなら近くのケンタッキーここから歩いて40分くらいかかりますよ。そっちのこと言ってます?」
『だから駅前だって』
ダメだバグってる。
一体どんな教育を受けたらこんな子に育つのだろうか。
あらためて身なりを確認すると、彼女は一見すると年相応の恰好に見えたがどこか不潔で、なんとなく家に帰ってないのではないかと思わせるものだった。
考えてみると仮に友達と待ち合せであればわざわざ私にそんなことを聞かずともアテンドがそれなりになされるだろう。
ケンタッキーの看板だけ送られてきてここに来て、はやはり違和感がある。
そうなると初対面か。
不潔さも加味すると、マッチングアプリで出会いというよりは、パパ活や円の類いのように思える。
「そこがケンタッキーですよ」
目的地近くまでいくと看板があったので私は指をさしながら伝えた。
『あ、ほんとだ。こんなとこにあったんだ。』
そういうと彼女は私を一切見ることなく携帯を弄りながらケンタッキーへ向かっていった。
「どういたしましてー」
御礼もなかったのでとりあえず背中に向けて嫌味を放ったが、当然彼女はそれを意にも介さなかった。
昨今、もっとも私がジェネレーションギャップを感じたのが「いまどきわざわざラインなんか交換しないですよ。全部DMです」という24歳男性からの金言だった。
「そりゃ家族とか友達はラインですよ?でもアプリで会って、友達になって・・・はDMのみですね」
「え?友達になった後もライン交換しないの?」
「しないですよ。いま“連絡はラインで”なんて言うのは死語ですよ」
恐ろしい話だ。
私の学生時代はメールが全てのツールで、社会人になってラインが全てになった。
だが現在はそれすら通過した過去だと言う。
同時にそれは、もう恋愛はアプリ無しには達成できないということでもあった。
「マッチングアプリが嫌ならインスタとかやんないんですか?出会いの宝庫ですよ」
「インスタなんてAV女優がディズニー行くのを見るためのアプリでしょ?」
「マジで化石ですよ考えが」
道を聞いてきた彼女もたしかにアプリのDMっぽい画面を開いていた。
嫌だなあ、と心から思った。
大学生の頃、2ちゃんねるの代々木公園で鬼ごっこオフ会に参加した。
あの時の参加者の女の子はすごく可愛くて会話も楽しかった。
恋愛にも友人関係にも発展しなかったが、そうなったらきっとわくわくしたであろう。
そういう恋愛がしたい。
はじめから恋愛目的になるマッチングアプリは、どうもロマンを感じることができなかった。