命を落とした被害者がその名誉をズタズタに切り刻まれ、
同じように恋愛で大金を奪い取り、収監中の詐欺師が高評価を受ける。

この事実だけみればそれはあまりにもひどい現代社会の姿にも思える。

形だけであればまるであの日の桶川だ。
あの日のマスコミが、現代で言えばあの日にほとんど存在していなかったインターネット上の匿名の声達だ。


その違いは、そこに正当性があるのか、それとも理不尽であるのかなのではないだろうか。

そしてそこを、私達匿名が容易に判断して発言していいものなのかについて、私は深く考えてしまう。


報道の自由とそれに伴う責任が、盛んに問われることがあった。まさに桶川の件も然りだ。

では私達の発言の自由に関して、それに伴う責任は果たして発生するのだろうか。


もちろん、犯人の行為を肯定する意見は少ない。いや、ほとんどいない。

で、あるならばこそ、別件として死者を再度切りつけることは、していいものなのだろうか。


正義は胸に秘めるくらいがちょうど良い。


青島俊作の言葉が、胸に沁みる。