東日本大震災から14年が経過した。

毎年この日になると、“あの日、何をしていたか”が話題となるため、その瞬間のことは何度も思い出す。

東京にいた私は恵まれていた。切にそう思う。

震災が発生したとき私は一人暮らしのアパートを解約して実家に戻っており、あまりの揺れに驚いた祖母が閉じ込められないように扉を開けると、飼っていたマルチーズが勢いよく逃げ出していった。

余震の危険が残る中で祖母は犬を追っかけて飛び出してしまい、扉の開いた家には別の家で飼われていたポメラニアンが飛び込んできた。

後にきけばあの日、都内で働いていた人たちはどのように帰るか、家族は無事なのかで不安に苛まれていたときくが、せいぜい犬の行先を心配するくらいだった私は幸運側だ。


生家は被災地ど真ん中であり、親戚が亡くなった。

帰省する度に好んで乗っていた三陸鉄道の鉄橋が崩壊しているのを目にしたとき、身体から血の気が引いていったのを覚えている。
ニュースで津波によって流されてしまった馴染みの場所を目にし、泣き続けた母の姿を思うと、私も今日現在でも泣けてしまう。


だが当の私は、その震災のせいで無給で勤務予定だった内定者研修1カ月間がなくなり、とにかく嫌で仕方なかった自衛隊駐屯地での泊まり込み研修もなくなった。

「休みだと思うな。失うことになるこの1か月を、自分の中で何ができるかをよく考えながら過ごすこと。遊ぶな」と会社の人事部から言われたが、当然そんなことは無視し、朝から晩まで家で寝ていた。

震災直後は当然バラエティなんかやっておらず、ニュースをみても気が重くなるばかりだったので、CS放送でマスクマジシャンが有名マジシャンのマジックの種を明かす番組を視聴し続けた。

はえー。種明かしすぎて命狙われてるからマスク被ってはるんやー。
ならやらなければいいのにー。

なんてことを考えていると、いつのまにか“働きたくなければ働かなければいいのにー”と思えてきて、きっとマスクマジシャンも生活の為にやってるんだなと、少しだけマスクマジシャンの気持ちを理解できた。

その後は節電が始まり、特に必要がなかったので1日中電気を消していたところ、夜になれば真っ暗となり、いよいよ私は眠り続けた。


その間から始まっていた復興は、いまもずっと続いている。

今日も誰かが立ち上がっている。あの日からずっと。

東北だけじゃない。

能登も熊本も中越も、必死に立ち上がっている。


私だけがこの世界で、あの14年前のあの日を、時間よとまれ!と祈っている。

どうか世界よ。

私を後回しにしてくれ。