「父親が再婚するって、小学生の娘は受け入れられるのかな?」

親友の鈴木は深く溜息をつきながらそう悩みを吐露した。


「例の彼女と再婚するのか?」

そう問うと鈴木は

「彼女は子供を産みたいと言っている。結婚式を挙げたいとも。同時に年齢も重ねていく焦りがあるようだ」

と答えた。


男女共に、出産にはタイムリミットがある。

先の未来から逆算をした鈴木と彼女は、いまがその時だとどうやら判断したようだ。


「難しい話だ。何が難しいって、離婚経験者は山ほど周りにいるが、再婚するとき別れた子供をどう考えるかについて語ってくれる人は…少なくとも俺の周りにはいない」

「そう。それなんだ。誰に相談しても、経験どころか周囲にそういう人間はいないという」


鈴木には二人子供がいて、上の女の子はもう小学校5年生になる。

「女の子は成長が早いときくよ。だからもしかしたら、すごく重いことになるかもしれないね」

「中学生になるまで待つべきだろうか」


「わからないよ。でも俺はタコピーの原罪を読んだから、もしかしたら娘さんはショックを受けてしまうんじゃないか。そう思ったんだ」

「…俺もタコピーの原罪を読んだから、こう悩んでいる」


世の中は間違いなく、タコピーの原罪でできている。


「まだ娘さんはバレエをやっているのかい?」

「やってるよ。そして多分、娘はバレエをやりたくない」

「じゃあなぜバレエを?」

「元嫁がやらせたがっていたから」

「鈴木の元嫁はバカだなあ。将来バレリーナになる夢でもならない限り、バレエなんか早々にやめるべきだ。金も時間も無駄だ。鈴木の元嫁は本当にバカだよなあ」


「そうだよ。救いようのないバカなんだよ。娘も息子も被害者だ」

10年前の結婚当時、いや交際の始まった学生時代であれば、"お前のパートナーはバカだ"と言われると鈴木は怒っていたが、どうやら今となっては元パートナーがバカであることを認めたというより、バカであると嫌悪し卑下している。


結婚相手は所詮他人だというが、それは本当のことであると、この二人が教えてくれている。

今の彼にとってはかつてそこに何らかの形があった相手であっても、もう庇う必要はないのだ。


こうなってくると、いよいよ結婚なんてものはしなくても良いんじゃないかとより思えてしまう。







親友のカフカ青年が昔話していた「もちさんが味噌汁をこぼした話」が好きだ。

もちさんという人を私は会ったことも見たこともないのだが、彼から伝え聞くもちさんはどうやら望月さんという方で高すぎず低すぎずといった感じの役職についているらしい。

もちさんは仕事にうるさく、またアフター6では部下をスポーツジムに誘うような、所謂意識の高い上司という風に思えた。

そんなもちさんが味噌汁をこぼしてしまったのだ。パソコンに。

当然パソコンはこぼれた味噌汁で濡れ壊れ、その光景を他の社員が見て笑ったところ、もちさんは「笑いごとではない」と怒ったという。

翌日の朝礼では、もちさんが味噌汁をこぼしたという事実が朝礼で出回り、より一層もちさんが弄られ、その度マジな感じで「笑いごとではない」と怒ったという。


私はこのことについてよく考えてしまう。

もしも私にループに能力があり、過去に戻ることができたとしたら。

私は、もちさんが味噌汁をこぼすという事実を、変えることができるのだろうか。


私だけではないのかもしれないが、毎年11月12月は、絶対に色々仕事で辛い状況に追い込まれる。

おそらくそれは、たとえば年始に始まった案件をなんとなくダラダラと対応し、やりたくないことを放置した積み重ね、膨れ上がりが、このタイミングで一気に爆発してくるからだろう。

同様に毎年毎年、なんであれをこう対応していなかったんだ、と後悔する。

だがおそらくは、過去に戻ったとしてもこれを変えるのは無理な気がしてしまう。

どんなに戻ろうが、サボるもんはサボるのだ。

それならば、もちさんはどんなに過去に戻ることができても、味噌汁をこぼすのではないか。

会ったことも見たこともない相手に、「お前PCの近くで味噌汁啜るなよ」と一方的に注意することは、どれだけ気持ちが良いものだろうか。







仕事の都合で訪れた都内某所は、高校生の時に付き合っていた彼女の家のある場所だった。

いや、あった場所、との表現が正しいか。

彼女は母子家庭であり、お母さんには私も非常に良くしてもらった。

何度もその家を訪れてはお昼ご飯も晩御飯もご馳走になったことがあった。


お互いに大学受験が終わったあたりの頃、彼女から『家が無くなることになって、引っ越しすることになった』と言われた。


理由を尋ねると、いま住んでいる家は離婚して出ていった父親名義のもので、その父親が勝手に家を売ってしまったというのだ。


「どうにかならないの?」ときくと、『どうにもならないよ。ローン払ってたのもお母さんだったのに』と彼女は涙を流していた。

あっという間に1カ月が経ち、引っ越し当日になり、私はこれまでの恩も含めて引っ越しの手伝いをすることにした。

あらかた引越し屋さんのトラックに荷物を運び、何もなくなった家の床にモップをかけていると、お母さんが『お寿司頼んだからみんなで食べよう!』と声をかけてくれた。


彼女はエンガワが好きだったので、私の分を譲ると、ありがとうも言わずに当たり前のようにそれを見せつけるように食べてみせたのを覚えている。


食べ終わり、お母さんとお姉さんが『私たちはトラックで行くから、あなたたちは電車できて?』と言うので、彼女と一緒に最寄駅のベンチで電車を待っていた。


そこで彼女は何か糸が切れたのか、声をあげて大泣きした。


「また買い戻せばいいよ。俺が社会に出て、お金が貯まったら家を買い戻そう。それでまたお母さんもお姉さんも住めば良いよ」

そう言うと彼女は泣きながら『ありがとう。約束だよ?』と言っていた。



あれから20年近くが経ち、彼女とはもうとっくの昔に別れている。

当然あの家は買い戻してなどいない。

いまにして思えば、到底無理な話だ。

家を買うなんてハードルはとんでもなく高いし、そもそも私にそんな権利なんかないし、もっと言えば築30年以上の建物を新しい買い手がそのまま使うなんていまの時代あまりにも非効率的だ。

仮に私があの過去に飛ぶことができても、お金なんかないし、彼女の父親を諭すことなんてできやしないし、何ひとつ事実は変えられない。


いまはあの場所には、どんな建物がたっているのだろう。


せっかくなので私は、すぐに会社に戻らずに寄り道、遠回りをして、当時彼女の家があった場所に向かってみた。


道中、うっすらと記憶にある光景が眼前に広がりはしたが、やはりありとあらゆる建物が新しくなってしまっており、何度も私は道に迷った。



そして30分後。ようやくその場所に辿り着いた。



全てがあのときのままだった。

通りを覗ける大きな窓、隣りの敷地にまで飛び出していきそうなベランダ、簡易的な門扉、少し色褪せたインターホン、

何度も何度も目にした、馴染みのある家。


いま仮にインターホンを押しても、まるであの頃の家族の誰かが迎え入れてくれそうな気すらした。


表札を確認する。


全く知らない別の名前。


買い戻されることはどうやらなかったようだ。


なのに残ってる。

あの頃が、失われず残ってる。

「ちゃんと残ってるじゃん」

思わずそう呟いた私は、なぜか言葉にできないほど感動していた。



すごいよ。ちゃんと残るんだよ。

それが良いかどうかは別だし、全てが同じようなこともないのは承知の上だが、でもちゃんと残るんだよ。

過去に戻ることはできない。未来に飛ぶことだってできない。

ただ、時間の空白が埋まる瞬間は確実にある。

20年が、その光景に溶け込んでいく。


周りをみてみると、近所の中野さんの家もしっかり残っていた。

中野さんの家はなんなら改修されて綺麗になっていた。

彼女となんで別れたかというと、この中野さん家のご子息と浮気をしていたからだ。

近場で慰めあってるんじゃねえよ。

感動が一通り終わると、今度は怒りではなく呆れがおそってきた。

20年ぶりの呆れ。無味にもほどがある。

教えておくれ。
今日日の世の神様の作りかたを。
教えておくれ。
人は人を裁いていいのだろう?

どれだけ泥が泥を捏ねたって、泥以外作れやしない。
キミも、キミも、生まれ変われ。


輪廻転生