数日前に”ボーは恐れているに3時間を費やす覚悟があるか”というブログを読んだ。
「アリアスターはなんか売れすぎたよな」ということを知人が寂しそうに言っていたが、まさにこの3時間については売れすぎたアリアスター作品の展開危惧によるもののように思える。
私自身はあまりアリアスター作品を存じないが、なんとなく”ボーは何も恐れないんじゃないか”という根拠のない懸念が広がってしまう。
その場合の3時間は私にとって本当に黄金体験になりうるのだろうか。
実際そのブログはとても面白かった。
この日私は映画でも観ようと日本橋の映画館へ足を運び、ボーは恐れているでも観ようかと思っていたが、その3時間の恐怖が脳裏をよぎってしまい、結局諦めることにした。
代わりに前々から気になっていた”落下の解剖学”を観ることにした。
(まあ落下の解剖学は落下の解剖学で2時間半も上映時間があったわけだが)
ここからは作品のネタバレを含む。
本作のおおまかなあらすじとしてはフランスの田舎町で暮らす視覚障害者の少年が、雪の中で父親の遺体を発見。
当初は転落による事故死と思われたが、その遺体や現場状況には不審な点があり、少年の母親へ疑惑の目が向けられる、というもの。
劇場予告ではそれが事故なのか故意なのか、なぜ父親は死に至ったのか、誰が関与しているのか、事件の真相は?と本格的なクライムサスペンスの様相を呈しており、それは大いに私をわくわくさせた。
だが蓋を開ければ、争点は父親は自〇か、それとも母親による〇害かの二点に絞られ、ほとんどの展開が母親の裁判で進行していく。
物語中盤、母親の起訴に至ることになった要因たる夫婦喧嘩の録音が公開されるのだが、その内容は私としては「いやフランス当局はこの程度の内容で起訴に至るのか?」としか思えなかった。
母親は有名小説家で父親は小説家志望で息子の自宅学習を教えたり、家を改修して民宿を開こうとしている。
その父親が「俺ばっかり我慢して息子のためにいろいろやってるから、執筆の時間が無い」と激怒するのだ。
母親が「別に自宅学習の教師をやってほしいなんて言ってないし、やりたいことをやっていい」と譲るのだが、これに父親が「息子との絆を奪う気か!」と怒鳴る。
その後も父親側が自分の執筆がうまくいかないことを子育てによる時間の無さのせいにし、俺の小説のアイデアを盗んだだのお前は浮気しただのと言いがかりを続け、最終的に暴力沙汰に至る。
だがその光景に事件性は正直感じられず、「これどう考えてもこんなんで〇害しないだろ」となってしまい、実際案の定自〇であった。
フランスはこの程度のことが大事になるのだろうか。
なんだか不思議と、何年か前に「妻に創作活動を反対された」と泣き言をツイートし炎上した自称ラノベ作家を思い出した。
彼は妻に「もう少し創作活動に専念する時間が欲しいと願い出たが、応援されるどころが辞めるよう言われた」とし、「子育ても家事もこれだけやっているのに」と叫んだ。
個人的見解を言えば、妻に「執筆の時間をくれ」ということ自体がナンセンスだ。
「時間が無い」「忙しい」「応援してもらえない」で書けないなんてそんなわけがない。
書けるときはどんな状況だって書けるし、書きたいものだ。
つまり、書けないのも理解を得れないのも、誰かのせいではなく自分自身のせいだ。
同時に、そんな言い訳と泣き言を吐く人が書く作品は1000%つまらない。
当該人も自称作家ではあるが、誰でも投稿可能なネットサイトでラノベをアップしているだけで、その内容もひどいものだった。
そんな彼と、落下の解剖学の父親が重なったのだ。
(作中の父親もイギリスで事業を失敗し、フランスへ逃げたものの小説は書けず、同時に手をつけた民宿も改修すら進まないありさまだった)
母親の無実が裁判で決定されたとき、そりゃそうでしょ・・・となった。
子供に対し、「犬(自分)はいつか死ぬ。お前を守り続けた犬(自分)は疲れて力尽きてしまうことがあるから覚悟をしておけ」という発言もすべて身勝手なもので胸糞が悪くなった。
長くなったので当作品を見た感想を簡潔にまとめさせていただく。
カクヨムになろう小説アップしてる奴は、全員しょーもない。
以上である