私が大学生の時、フジテレビ系列のクイズバラエティ番組であるヘキサゴンは全盛期を迎えていたように思う。
羞恥心やPaboは訳が分からないくらいめちゃくちゃ人気があったし、27時間テレビではヘキサゴンメンバー全員で司会をやっていたのを覚えている。
あの当時、同じ大学で最も仲の良かった花本友里とは一時期毎日のように晩御飯を食べに行っていたが、その度に羞恥心や上地雄輔の話をこれでもかとされて、必然的に彼らの歌も、ヘキサゴンも視聴せざるを得なくなっていた。
その上で私はヘキサゴンが嫌いだった。
靴べらのような顔の中年が何やら関西弁で聞き取りにくく捲し立て、時には説教もしてくるのがまずどうにも面白くないどころか不愉快だったし、そんな靴べらみたいな中年を若いタレントがキャッキャキャッキャと煽てまくり、同年代の中年はまるで何もかも分かったかのように「紳助さんはすごい」と腕を組む。
いまにして思えばそれは編集のせいだったのかもしれないが、とにかく私はその周りがめちゃくちゃに褒めまくられるなかで、さも正しいような事を言う島田紳助、という構図こそがヘキサゴンであると思っており、その全てが気持ち悪くて嫌いだった。
しかし今ならばこう思える。
あれは日本社会そのものである、と。
バカげた半円の大きなソファに座らせられ、一番偉い人に「俺は気持ち良さの極限を味あわせることができる」と言われる。
それをきいた若手社員達が「ヤラせろ!ヤらせろ!」と一斉に煽り、三番目くらいに偉い人が、「ほら、勉強になるから一回やっといたほうがいいよ。ヤらせなよ」と笑う。
こちらがモタモタしていると、一番偉い人が「こうやるんだよ」と若手の女性社員相手に腰を振る真似をし、それをみたまた別の若手社員達が「ウェーイ!!」と盛り上げまくる。
これは比喩であり、比喩ではない。
その光景に身を置いてきたし、ここでいう若手社員の立場であればどれも経験をしてきたような気がする。
紛れもなく日本社会だ。
そしてそれをまだ社会に出る前の私が、ヘキサゴンファミリーに見出し、激しく嫌悪していたのだ。
だからこそ、いまもヤらせろ!ヤらせろ!と叫ぶ仕事をしている私自身を俯瞰で見て、何をやっているんだ…と絶望してしまう。
そんなことがしばしばある。
最も、この比喩はヘキサゴンではなくバリバリバリューの話であるし、この話自体が完全な作り話、とされたわけではあるのだが。
◯
そのヘキサゴン大好き花本と久々に飲みにいく約束をした。
前述の通り一時期は毎日のように食事にいく間柄だったが、卒業してからというもの、いや、就職活動が始まったあたりから私たちはすっかり疎遠になってしまった。
特にそのきっかけに理由はなかったが、大学卒業直後のmixiにて花本が私に『卒業してからもちょこちょこ会おうねー!』とリプライしてきた。
これに対し当時留年が決定していた私はバーサーカーモードへ突入し、mixiの日記で花本及び花本のサークル仲間への度を越した誹謗中傷を展開。
それを目にした花本より『やっぱ二度と会わないわ』と絶縁されたことで、距離は決定的になったように思う。
花本は大学卒業段階で処女だった。
なんだかんだ絶縁宣言後もやりとりは続き、最後にあったのが6年前の横浜で、二人でシュラスコに行き、サンバを見ながら肉を食べ、「処女膜はどうなった?」と彼女に尋ねてみた。
『まあそりゃそれなりに時間が経ってるから』と案に経験済みを匂わせてきたので、「あのなかなかヤラせずに手コキして発散させ続けた年下の彼氏にか?」と続けると
『あの子は自殺したよ』と述べた。
「いつ?」
『私たちが卒業して3年くらい後に』
「なんで?」
『わからない。わからないからめっちゃ悲しくて、いま思い出してもちょっとしんどい』
そう言って彼女は涙を流した。
突然の涙に私はびっくりしてしまい、とりあえず何か笑えることを言おうと頭をぐるぐる回転させた結果、
「ええ…ヤらせてあげてればもうちょっと死なないで済んだんじゃないかそいつ」
ともうモラルも倫理も人間性も何もかもが終わっている発言をしてしまった。
あわてて「いやその、もうちょっと寄り添えて頼れる人が周りにいたら違ったのかもしれないな、って」と取り繕ったが、花本はドン引きを通り越した超ハイパードン引きをしていて、その後のサンバはもう三途の川のBGMでしかなかった。
あれから6年。
いま私が迎えているあらゆる苦境はこの時の跳ね返りであり、全て私の責任であると過去の自分へ悔恨している。
数ヶ月前、花本に私は人間原理を説いた。
それは私からの贖罪であり、私からの恋文でもあったように思える。
私の人間原理に花本は既読こそつけたもののやはり返信はなかった。
だが、昨日あらためて何ごともなかったかのように「飲みに行こうよ」とLINEすると『行こう!』と返ってきた。
花本、あの時はすまなかった。
シュラスコ代を、あきらかに奢れというキミの醸し出す空気にウンザリして五千円を払うのを相当渋ってしまった。
だが今回は禊だ。2000円までなら奢るよ。
また楽しく昔話をしながら、サンバを見よう。
◯
なあ、花本。
この世で最も奇妙なことが何か知っているか?
それはもちろん、我々人類が存在していることだよ。
このあまねく宇宙を形成する要素の何かひとつでも欠けていれば銀河系も太陽系も、ましてや地球なんかも存在しなかったと言われている。
地球が存在しないということは我々人類も存在できない。つまり人類が誕生する確率はとてもとても低い。
にもかかわらず、なぜ我々は存在しているのだろうか。
今ここに箱があるとする。
その中に1から1億までの数字がふられたボールが入っているとする。
花本はそこから「1」と書かれたボールを一回で引くことができるかい?
まずできないでしょう。
だがもし花本が1億人いたとしたら?
もしかしたら1人くらいは1を引けるかもしれない。
そう思うんじゃなかろうか。
人類の誕生は、1億の中から1を引くくらいとても低い確率の奇跡なのだよ。
けれども、もしも我々の知っている宇宙が、実は1億個あったとしたら…
これを人間原理と言う。
合縁奇縁。
俺と花本が出会えたのも奇跡。
そこでどうかな?
この奇跡をもっともっと強く感じることができるウォーターサーバーがあるんだが買ってみないか?
ウォーターサーバーじゃなくても化粧水もある。
この化粧水はなんと飲めるんだ。奇跡。
この奇跡を花本の友達に花本が紹介すれば、より宇宙は広がっていく。
奇跡だ。
さあ、花本、俺からウォーターサーバーを、買え。
羞恥心やPaboは訳が分からないくらいめちゃくちゃ人気があったし、27時間テレビではヘキサゴンメンバー全員で司会をやっていたのを覚えている。
あの当時、同じ大学で最も仲の良かった花本友里とは一時期毎日のように晩御飯を食べに行っていたが、その度に羞恥心や上地雄輔の話をこれでもかとされて、必然的に彼らの歌も、ヘキサゴンも視聴せざるを得なくなっていた。
その上で私はヘキサゴンが嫌いだった。
靴べらのような顔の中年が何やら関西弁で聞き取りにくく捲し立て、時には説教もしてくるのがまずどうにも面白くないどころか不愉快だったし、そんな靴べらみたいな中年を若いタレントがキャッキャキャッキャと煽てまくり、同年代の中年はまるで何もかも分かったかのように「紳助さんはすごい」と腕を組む。
いまにして思えばそれは編集のせいだったのかもしれないが、とにかく私はその周りがめちゃくちゃに褒めまくられるなかで、さも正しいような事を言う島田紳助、という構図こそがヘキサゴンであると思っており、その全てが気持ち悪くて嫌いだった。
しかし今ならばこう思える。
あれは日本社会そのものである、と。
バカげた半円の大きなソファに座らせられ、一番偉い人に「俺は気持ち良さの極限を味あわせることができる」と言われる。
それをきいた若手社員達が「ヤラせろ!ヤらせろ!」と一斉に煽り、三番目くらいに偉い人が、「ほら、勉強になるから一回やっといたほうがいいよ。ヤらせなよ」と笑う。
こちらがモタモタしていると、一番偉い人が「こうやるんだよ」と若手の女性社員相手に腰を振る真似をし、それをみたまた別の若手社員達が「ウェーイ!!」と盛り上げまくる。
これは比喩であり、比喩ではない。
その光景に身を置いてきたし、ここでいう若手社員の立場であればどれも経験をしてきたような気がする。
紛れもなく日本社会だ。
そしてそれをまだ社会に出る前の私が、ヘキサゴンファミリーに見出し、激しく嫌悪していたのだ。
だからこそ、いまもヤらせろ!ヤらせろ!と叫ぶ仕事をしている私自身を俯瞰で見て、何をやっているんだ…と絶望してしまう。
そんなことがしばしばある。
最も、この比喩はヘキサゴンではなくバリバリバリューの話であるし、この話自体が完全な作り話、とされたわけではあるのだが。
◯
そのヘキサゴン大好き花本と久々に飲みにいく約束をした。
前述の通り一時期は毎日のように食事にいく間柄だったが、卒業してからというもの、いや、就職活動が始まったあたりから私たちはすっかり疎遠になってしまった。
特にそのきっかけに理由はなかったが、大学卒業直後のmixiにて花本が私に『卒業してからもちょこちょこ会おうねー!』とリプライしてきた。
これに対し当時留年が決定していた私はバーサーカーモードへ突入し、mixiの日記で花本及び花本のサークル仲間への度を越した誹謗中傷を展開。
それを目にした花本より『やっぱ二度と会わないわ』と絶縁されたことで、距離は決定的になったように思う。
花本は大学卒業段階で処女だった。
なんだかんだ絶縁宣言後もやりとりは続き、最後にあったのが6年前の横浜で、二人でシュラスコに行き、サンバを見ながら肉を食べ、「処女膜はどうなった?」と彼女に尋ねてみた。
『まあそりゃそれなりに時間が経ってるから』と案に経験済みを匂わせてきたので、「あのなかなかヤラせずに手コキして発散させ続けた年下の彼氏にか?」と続けると
『あの子は自殺したよ』と述べた。
「いつ?」
『私たちが卒業して3年くらい後に』
「なんで?」
『わからない。わからないからめっちゃ悲しくて、いま思い出してもちょっとしんどい』
そう言って彼女は涙を流した。
突然の涙に私はびっくりしてしまい、とりあえず何か笑えることを言おうと頭をぐるぐる回転させた結果、
「ええ…ヤらせてあげてればもうちょっと死なないで済んだんじゃないかそいつ」
ともうモラルも倫理も人間性も何もかもが終わっている発言をしてしまった。
あわてて「いやその、もうちょっと寄り添えて頼れる人が周りにいたら違ったのかもしれないな、って」と取り繕ったが、花本はドン引きを通り越した超ハイパードン引きをしていて、その後のサンバはもう三途の川のBGMでしかなかった。
あれから6年。
いま私が迎えているあらゆる苦境はこの時の跳ね返りであり、全て私の責任であると過去の自分へ悔恨している。
数ヶ月前、花本に私は人間原理を説いた。
それは私からの贖罪であり、私からの恋文でもあったように思える。
私の人間原理に花本は既読こそつけたもののやはり返信はなかった。
だが、昨日あらためて何ごともなかったかのように「飲みに行こうよ」とLINEすると『行こう!』と返ってきた。
花本、あの時はすまなかった。
シュラスコ代を、あきらかに奢れというキミの醸し出す空気にウンザリして五千円を払うのを相当渋ってしまった。
だが今回は禊だ。2000円までなら奢るよ。
また楽しく昔話をしながら、サンバを見よう。
◯
なあ、花本。
この世で最も奇妙なことが何か知っているか?
それはもちろん、我々人類が存在していることだよ。
このあまねく宇宙を形成する要素の何かひとつでも欠けていれば銀河系も太陽系も、ましてや地球なんかも存在しなかったと言われている。
地球が存在しないということは我々人類も存在できない。つまり人類が誕生する確率はとてもとても低い。
にもかかわらず、なぜ我々は存在しているのだろうか。
今ここに箱があるとする。
その中に1から1億までの数字がふられたボールが入っているとする。
花本はそこから「1」と書かれたボールを一回で引くことができるかい?
まずできないでしょう。
だがもし花本が1億人いたとしたら?
もしかしたら1人くらいは1を引けるかもしれない。
そう思うんじゃなかろうか。
人類の誕生は、1億の中から1を引くくらいとても低い確率の奇跡なのだよ。
けれども、もしも我々の知っている宇宙が、実は1億個あったとしたら…
これを人間原理と言う。
合縁奇縁。
俺と花本が出会えたのも奇跡。
そこでどうかな?
この奇跡をもっともっと強く感じることができるウォーターサーバーがあるんだが買ってみないか?
ウォーターサーバーじゃなくても化粧水もある。
この化粧水はなんと飲めるんだ。奇跡。
この奇跡を花本の友達に花本が紹介すれば、より宇宙は広がっていく。
奇跡だ。
さあ、花本、俺からウォーターサーバーを、買え。