早朝5時に起床し、6時に家を出て7時に東京駅発の新幹線に私は飛び乗った。

家の鍵、携帯電話、財布、田中慎次の小説、そして数日分の下着とハンカチをリュックサックに詰め、旅行に出かけることにした。


敬愛する森見登美彦が小説家デビュー20周年ということで、個人的にお祝いしようと彼のルーツとも言える聖地巡りをしたかったのだ。


新幹線の中でコーヒーを飲みながら車窓を眺め、私は静かに息をついた。

これだけゆっくりと、そしてなんのストレスもなく過ごせる旅行は何年振りだろうか。


どんな休日であっても24時間対応の会社からの電話が入る場合があるし、なかったとしてもその可能性から社用携帯を手放すことができず、1時間おきに連絡見逃しがないかヒヤヒヤしながら確認する生活は、確実に寿命を縮める行為であった。


わずかな期間ではあるが、そこから解き放たれたという事実は、何年分もの休日に勝る。



京都に着き、京阪電車へ乗り換え出町柳駅で降りると、外からはたくさんの歓声がきこえた。

どうやら今日は京都マラソンの日のようだ。

鴨川デルタまで降りてその舞台を堪能したかったが、さすがの人混みでそれは不可能であったので諦めた。それでもあの鴨川デルタを一目できたのは嬉しい。

鴨川デルタを背に糺の森を歩き、下鴨神社へと向かう。


"出町柳駅を出て糺の森を抜け下鴨神社へ"なんて場面は森見登美彦の小説で何度も登場したような気がする。


思えばこの20年は、森見登美彦の小説と共に歩んできた。


人生で好きな小説ベスト3を聞かれれば、その全てを森見登美彦が独占している。

太陽の塔、夜行、そしてオールタイムベストたるペンギンハイウェイだ。


初めて太陽の塔という作品に出会った時は、なんて馬鹿げたことを馬鹿げてないように書く馬鹿げた作家なんだと思いながらも、終盤ではそれがジェットコースターのような速さで言葉にならないくらいの愛しさと感傷的な気分をごちゃ混ぜにしてくる。


夜行は所謂不気味な森見作品で、淡々と語られる登場人物達のエピソードはあまりにも奇妙で恐ろしく、百物語とはまた違う恐怖の積み重ねが緩急をつけて何度も読者を戦慄させる様は中毒性すら生む。


そしてペンギンハイウェイ。
何もかもが最高だ。物語の内容を説明するのではなく、私自身の感情の起伏を敢えて記すとするならば、その気持ちは懐かしく、同時に選べなかった過去であり、選べなかった過去だからこそ不可能であってもそれが必ず可能になると信じ、応援し、祈った。
何もかもが最高なのだ。思い返しても同じ気持ちに何度もなる。



私の人生は凡庸で退屈そのものであったが、稀に発生する事件や刺激こそが、森見作品における私を主人公とした場合のマジックリアリズムであると勝手に思っている。

それはどんな形であろうとも、少なくともこの20年においては必要なものなのだ。



下鴨神社でお参りを済ませ、京都マラソンのルートを追うように今出川通りを北上し、百万遍交差点と京都大学を見てから京大北門前の進々堂でカレーとパンとコーヒーを飲んだ。

進々堂は関西ではチェーン展開もされている有名店だが、この北門前店は老舗故の面影を残し、全く別の雰囲気となっている。

森見登美彦が通い、愛したというこの店のパンとコーヒーは、過去にどの店で飲食したそれに勝る、一番の美味であった。


それを終えると今度は来た道を戻り、森見作品の劇中にて「合格祈れば祈るほど落ちる」と言及される吉田神社でお参りをし、再び出町柳駅に戻り電車に乗り、三条駅で下車をする。


この旅の主目的たる、内藤商店で亀の子束子を買うためである。


ここはアニメ化もされた四畳半神話大系の劇中にて、樋口師匠が免許皆伝の最終試験で献上を要求した「幻の最高級亀の子束子」を小津が探しにきたという"三条大橋にある束子屋"である。


森見登美彦作品と言えば、という質問でこの幻の最高級亀の子束子を挙げる人は少なくなく、いわば代名詞ともいえるのだが、当然この幻の最高級の〜はフィクションだ。

だが現実としてこの店の亀の子束子は最高級であると評判で、なんとしても購入してみたかった。


小峰遥佳は

『わざわざそこまで行かなくても、内藤商店も束子も通販できるし、なんなら東京でも買えるよ』と言った。

「京都で内藤商店で良い束子を探して買うことに意味があるんだよ」

そう言い返すと彼女は

『わりとミーハーだよね。そういうところ』

と呆れていた。


私にはこういう馬鹿げた行為をミーハーであると切り捨てられることが、なんだか自分の内面まで彼女が理解してくれているようで、妙に嬉しかった。



実際店でそれを手にしてみると、束子とは思えないしなやかさと柔らかさで、衝撃と共にとても感動してしまった。

束子という概念を超えんばかりだった。

何より応対した女将は親切で、どうすれば長く束子を利用できるかまで丁寧に教えてくれた。

この旅で最も京都の良さを体感したと言える。


亀の子束子に加え、亀の子束子ストラップまでまんまと購入した後は、賀茂川沿いを京都方面へ北上し、スプリングバレー専門店でしこたまビールを飲み、半分酩酊で宿に戻り仮眠。

22時頃目を覚まし、宿で出される夜鳴きそばを食べた。


絶対に大した味ではないはずなのに、この夜鳴きそばは別品中の別品。食のVIVANTだった。


部屋に戻りガキの使いやあらへんでを観ているとまた眠気が遅い、静かに瞼を閉じた。


充実した1日だった。


森見登美彦はもちろんのこと、そうなった一番の要因は、どう考えてもやはり携帯電話から解放されたことであった。

ただ同時に、旅行中誰からも連絡がこないのも、それはそれで寂しいなと贅沢に悩みながら、私は下着を替えたのだった。