2023年7月31日。
身を焦がすような猛暑の中、私は東京にいる。

いや、猛暑をこえて酷暑だ。
それが身近になってから何年が経つだろうか。


暑い。東京は暑すぎる。


いったいいつからこの国は春と秋がなくなってしまったのか。


たしか昨年は10月くらいまで信じられないくらい暑く、ようやくそれがおさまったと思った刹那、すぐに信じられない寒さがやってきた。


もう異常気象という言葉すらききたくなくなってくる。




熱中症ですでに亡くなられた方も多くいる。


とにかく水分補給や直射日光を避けることが生命の自衛に直結するのだから、非常に危険な気象であるということだ。




中学3年生の時に部活で夏休み、炎天下でグラウンドで野球の練習をしていたところ、家に帰る際に猛烈に体調が悪くなり、仕方なくファミレスの駐車場の隅の日陰でぐったり休んだことがあったが、
いまにして考えればあれは熱中症で、非常に危険な状態だったのではなかろうか。


しかしながらあの頃思春期まっただなかの私は、当日小学校の同級生だった安藤美樹と遊ぶ約束をしており、それを体調的にどうしてもキャンセルしなくてはならないショックが上回り、熱中症の症状にまったく気が付かなかった。






・・・安藤美樹は元気だろうか。




思い返してみればあの頃は友人同士で彼女や女友達ができないように足をひっぱりあっていた。


付き合えるかどうかはわからないが安藤美樹は彼女になるかどうかはわからないが、間違いなく女友達だっただけに彼女と連絡を取り合う日々は幸せだった。


けれどもやはりそれは周囲からみれば気持ちの悪い男が調子に乗ってるということにすぎず、何度もひどいことを言われたのを覚えている。


最終的には私が寝ている間に、同級生の郡司と大竹が勝手に「SEXしたい」「3Pしたい」などと送りまくり、『二度と連絡してこないでほしい』と電話がきてすべてが終わった。


この後特にバカにしてきた大竹とは殴り合いのケンカになったが、これ以降一切連絡をとれなくなった安藤美樹とは逆にいまでも大竹は友人であるわけだから皮肉なものだ。


おそらく私が安藤美樹に「SEXしたい」「3Pしたい」と送ったことは地元では有名になり、何人もが知っていることだろうが、20歳のときの同窓会ではそのことに誰もふれてこなかったし、何より本人自体が来なかった。

恐らく私の件はあまりにも些細なことなこで来なかった原因は私ではないと思う。思いたい。





安藤美樹は東京を出ていきたいといっていた。


高校生になってからは何人もの男性と付き合い、かなりヤンキーだったと風の噂で聞いたが、いまも東京にいるのだろうか。


私はまだ東京にいる。

東京が楽しかったのは大学生くらいまでで、社会人になってからは常に東北に住みたい、東北に戻りたいと思ってしまう。

この街は大人には厳しい。


前職で大失敗をして地方へ左遷が決定したときもなんだかんだで神奈川勤務になったので都内から通えたし、今の職も異動は何度かしたが常に都内であった。


私の生家は東京から新幹線で3時間、車で3時間の場所にある。


この6時間が、距離を含めてあまりにも色々な意味で遠い。


東京へ行くには覚悟がいる。

反面、東京から出ていくのはどうなのか。

簡単なのか。それともやはり覚悟がいるのか。




2023年7月31日。
身を焦がすようや酷暑の中、私はまだ東京にいる。

この人生で知り合った人間の何人が、まだ東京にいるのだろうか。

たまに考えるが、すぐに不毛さに気づき、同時に孤独を感じる。