いまでは信じられないことでも、たしかにそれが"当たり前"であった頃はあるものだ。

日本でその最たる例は戦争ではないか。

この時代であれば到底考えられないようなことが、国のためという理由で平気で行われていた。


一概には信じられないようなことをしたり言ったりしている人も、実はそれが当たり前に正しいこととされていた時代を生きてしまった故に、取り残されてしまっているのかもしれない。


デヴィ夫人にしてもそうだ。


83歳になられた夫人の、ジャニー喜多川氏性加害報道への
独自の見解と苦言が批判を起こしている。


被害者の会による運動が国連の聞き取り調査にまで及んでいる現状に対し、夫人は騒動自体を"一芸能事務所の問題"であるとし、それを世界にわざわざ知らしめることを日本の恥だと切り捨てた。

いまも世界で繰り返される戦争犯罪と比較し、これを日本から世界へ知らしめるような話題ではないとし、育ててくれたジャニー喜多川氏を告発するなど恥ずべき行為であると。


非常にわかりやすい主張であったと思う。

さすが世界最高峰の社交界に身を置き続けていただけに、そのツイートは内容は別にしても、丁寧で綺麗でいて理路整然とした、とても美しい文章だった。



けれどもやはり、許されないことを言っていると思う。

時代が違う。

間違いなくデヴィ夫人の主張と価値観が正しかった時代があった。

そして時代が変わっていって、それが違うとされていく。
これ自体を勘違いしてはいけないが、これは良いことだ。



告発できる時代になったのだ。素晴らしいことではないか。



なれど…違う価値観と正義の中をずっと生き続けていた人たちに、いまはそれが変わったので適応してくださいとするのは無理がある。

新しい5年を押し付ける相手は、その前の60年を生きているのだから。


お互い価値観の相違をぶつけるのではなく、世代が違う以上、しっかりとした対話が大事だ。







夕方電車に乗っていると、対面に信じられないくらいタイプの女性が座っていた。

それはあまりにも衝撃的で、思わずビクッとなるほどタイプで美人で、一目惚れという表現が一番近いかもしれない。


どうにか関係がもてないだろうか。


けれども私にはそれ以上どうすることもできなかった。


昔であれば、電車を降りたらナンパをして、うまくいったら最高、うまくいかなくても何かしら笑いのタネにできていた。


いまは到底無理だ…負しかない…


これは時代のせいでも価値観のせいでもない。


私が太っているだけだ。