【誰かにとって特別であればそれでいいんだよ】

とよく耳にする。

こちらからすれば誰の特別にもなれないから苦しんでいるのに、随分とまた残酷なフレーズだと思ってしまう。

しかしながら最近は、誰の特別にもなれないこと以上に、誰かにとっての特別であり続けることも非常に厳しくしんどいものがあるような気がしている。


孤独か、重圧か。


どちらも避けたいものであるが、人生である以上仕方ないことなのだろう。


内村光良、さまぁ〜ず、TIM、ふかわりょうから成るNO PLANの"NO PLANの人生という名の列車"という曲が大好きだ。

特に三村マサカズの歌うパートが大好きで、この曲を聴いたのは平成17年で私はまだ高校生だったが、【真夜中のモデルハウスで押し倒してマリちゃんを泣かせてしまった。俺はどこまで助平になるのかと本気で怖かった昭和59年】という歌詞には、少なくともその3年後の平成20年には大いに共感していた。


けれどもいまだからこそ、もう一つの三村パートである、

【僕はもう僕だけのものではなくなり、つまりこの人生の旅も僕だけのものじゃない。窓を眺めながらこぼれたこの涙はなんだろう?平成の15年】

の部分が深く、温かく、また冷たい。


自分の人生が自分だけのものじゃなくなることと、自分の人生が誰のものであるのかそもそもわからないのは、似ているようで大きく違う。



でも孤独は老後がなー…




70歳を迎えて貯金のない宮崎さんはいまも馬車馬のように働き、また疲れ果てていっている。


彼こそが誰かの特別であり続けることから逃げ出し、誰の特別にもなれない人生の末路とでも言えるのかもしれない。





かくいう私も、日々孤独である。