久しぶりにそれをみてびっくりしてしまったのだが、まだ女性専用車両の正当性と男性の悪辣感を主張し続ける女性と、女性専用車両は男性差別だと息巻く男性が戦い続ける構図が全く終わりを迎えていない。

2000年代にはある程度認知され始めたこの運用だが、そうすると約20年間もその言い争いは続いていることになる。

その運用の意義や真価については引き続き議論されて然るべきだが、この問題においてはそういう男性差別にあたるのかそれは男性が悪辣であるから仕方ないのか、というところはいい加減形骸化させてしまってもいいものだろうとは思うが…。


そういう言い争いはたいていがTwitterで起こり、その人たちをみると男女問わず双方だいぶ醜悪な顔をしている。


男性に至っては、前述の通り女性専用車両があるのに男性専用車両がないのは差別だと明言し、また、この問題で1000人近くと話をしたが、女性から専用車両への協力ありがとうという感謝を聞いたことがないと憤った。


40半ばで私からすれば彼は人生の先輩なわけだが、それをもってしてその年齢で女性達に対し「なんでありがとうって言ってくれないの!?」と拗ねる姿は、同性の私からしても非常に気持ちの悪いものだ。


正義が何もかも盲目にさせている。



「なんで男性車両がないんだよ!!??」


私が最後にそう叫んだのは20歳の時だ。

酒を飲み慣れておらず泥酔してしまい、帰りの電車で座りたかったのに満員。

隣の車両はガラガラの女性専用車両で、女性達がゆったりと座る光景が羨ましくて仕方なかったから叫んだのだ。



まあぶっちゃけ、その程度の理由でしかないのだ。



もちろん、権利を守られるべき被害に遭う男性だっている。

異性そのものに恐怖を感じ、公共の交通機関を利用できない知り合いもいる。


そんな彼らを知っているからこそ、協力ありがとうを言おう!なんて主張はあまりにもバカげているではないか。


まあ45歳を過ぎてしまったら、それがいかに気持ち悪いことか見直すチャンスすらないのかもしれないが。