意識的に相手に“負”のイメージを植え付けることは、ある種最も初歩的な呪詛なのかもしれない。
例えば「お前は頭が悪い」と何度も告げることによって、その人が本当に愚かで頭の悪い行動へ走ってしまう。
心理学的に言えばゴーレム効果というのかもしれないが、その実態は呪詛に近い。
「よく注力してください。とんでもない臭いを感じますよ」
村瀬は私の目を見てゆっくりと告げた。
「豊田さんは猫を多頭飼いしてますよね。それでいくと所謂ケモノ臭というやつですか?」
「いいえ違います」
「では豊田さんは毎日作業着で勤務しています。そこから考えると、汗臭さみたいなものですか?」
「それも違います」
「ではどのような?」
「本当に感じませんか?もう簡潔に言えば、たまに電車に乗り込んでくるホームレスの臭いです」
「あの独特なアンモニウム臭みたいな?」
「そうです。正直・・・僕は吐きそうです」
豊田は独身でもう50代半ばになるが、その体臭が強烈なのは社内でも有名だった。
それは女性陣からNGがすぐに出て、座席は常に端の端に固定せざるをえないくらいのものだ。
先日、豊田の業務用扇風機が壊れた。
何が原因なのかはわからないが、その扇風機により臭いが緩和された人たちがいる反面、拡散効果で被害を食らう人たちも多々いたので、誰かによる意図的な破壊工作の可能性すらあった。
冒頭の村瀬との会話はいまから約2週間前のことだ。
現在、扇風機の停止により、臭いは一定方向へと放たれることとなり、その導線上にまんまと私がいる。
そして・・・
村瀬の発言によりついにその臭いが強烈なアンモニア臭であることを認識してしまった私は、ついに豊田を悪臭の根源として認可したことで、強烈な悪臭がやたらと鼻に直撃する感覚に陥っている。
なんなのだこの臭いは。座席で弁当どころか飲み物も飲めない。
彼とEVホールですれ違った後にEVに乗ると、籠内に彼のアンモニアが充満している状況であり、鼻をつままずにはいられない。
何をやるにも支障をきたすレベルの悪臭を感じるのだ。
これは村瀬なりの呪詛なのではないか。
「問題です。豊田さんはアパートで暮らしていますが、家賃はいくらでしょうか」
「ヒントをいただけると」
「東京都で23区外。小田急線沿線。駅から徒歩5分。築年数30年超えです」
「うーん。8万円とかですか?」
「正解は・・・4万円です」
「4万??安っ」
「豊田さんは好条件の立地の6帖ロフト付、ユニットバスのアパートに住んでいます」
「ええ??6帖??もう50代半ばですよ??」
「ですよね。約15~16㎡ですよ」
「ユニットバスってことは洗面トイレ一緒ですよね?ああ。そりゃ風呂入らないか」
「僕は風呂より正直・・・布団だと思います。絶対洗ったり干したりしてない」
「まあ干さないでしょうね」
「知ってます?会社に着てくる作業着。あれ、ずっと着てるんですよ。寝てるときもずっと」
「やば。病気になりますよ」
「でも一番気になっていることがあるんです」
「それは何ですか?」
「6帖のアパートで猫3匹飼う・・・飼っていいんですか?アパート的に」
「普通ならダメでしょう」
もともと豊田に良い印象をもっていなかったが、この村瀬の呪詛により私の中での彼は最悪となった。
いまでは正直テレビで飲食店経営の男性が「家では猫を3匹飼っています」と言うだけで「うえええ・・・汚い」となるようになってしまった。
「引越しさせましょうよ。そこにいる限り彼は臭い」
「50代の独身男性が、好立地なアパートみつけてそこに住みついたら・・・引越しするわけないですよね」
もう私は彼をまともな人間として見れないだろう。
それに比例してか、彼の臭い他不潔っぷりは加速するばかりだ。
これは何重にも渡って張り巡らされた陰謀であり、村瀬の呪詛だ。
今日も私の鼻は、真横に曲がってしまったのだった。