あるテレビ番組で、共演することとなった‟高級車を乗り回す男”四千頭身後藤に相対する私の親友のカフカ青年は、紛れもなく八千頭身だった。

「お金出せないですよ、一切」と購入意欲を削ぐ発言を受け困惑する後藤を視線の先に映すカフカ青年の表情は怒りに満ちていた。

まるで冷やかし者は斬り捨て御免!とでも言わんばかりだ。

それは誇り高く、愛に溢れた怒りだった。


私はカフカ青年を尊敬している。

彼の一挙手一頭足が渦となり、大きな波を巻き起こすのを何度もこの目で見た。

彼が開け!と言えば海は真っ二つに開き、落ちろ!と言えばこの空一杯の青空からバケツをひっくり返したような雨が降ってきたものだ。

そんなカフカ青年が7年前、私にこう言ったのだ。


「家具は一生物ですよ。大切な人や思い出の常に側で、一緒に大事な時を刻むんですから」



7年後の昨日、彼から購入したソファーを廃棄した。

購入額は税抜10万円。当時の私にはあまりにも大きな買い物だった。

あの頃の彼の勤め先は受付で来客名簿に記帳の上、店員を指名しなくてはならなかった。

‟村上春樹”と記帳し、カフカ青年を指名すると、数分後「お待たせ致しました」とノーベル賞ノミネート作家をアテンドでもするかのような緊張感を纏ったカフカ青年がフロアへとやってきた。

残念ながらそこに村上春樹はおらず、ニヤついた私がポツンと立っていただけなので、カフカ青年の落胆は相当なものであった。

それでも丁寧な接客の末、私はこのソファーを現金で購入したわけだ。


あれから時が経ち、ソファーの劣化が目立ち始めたためカフカ青年に「メンテナンスサービスはありますか」と尋ねたところ
「残念ながら無いので、後ろと前から数回叩いて直してください。それでも直らないなら廃棄してください」と言われた。

結局直らなかったので、私はこの高級ソファーを廃棄し、新たに量販店で複数人掛けのソファーを購入した。

それは世論なのかもしれない。

想いではなく、利便性と低コストを優先した。

カフカ青年のことを考えながら。


以前夜職の女性と飲んだ時に、彼女は何度も

『家具、清潔感、そして彼女無し。カフカさんはゲイだ』

と言った。

「彼は学生時代もたくさん女に恋をしていたよ」

と返すと

『偽装だな。彼はゲイだ』

と言ってきかなかった。


『なんでガールズバーなんかにくるの?』

「そりゃ女の子が好きだからだよ」

『いやキミたちはずっと店で二人で‟ネタ合わせ”をしているだけだよ。私はそれを審査しているだけ。オーディションだよこれじゃあ』

「そんなつもりはないよ」

『じゃあ何しにきてるの?』

「僕らは待ち合わせをしているんだ。待ち合わせに店を使っているにすぎない」

『なにそれ?』

「昔の小説や映画はみんなそうだった。探偵や情報屋は決まって女の子の店員が多い店で待ち合わせをし、明らかになっていない事件の破片をつかんだ。僕らはそれに憧れているんだ」

『変態じゃん!そしてゲイじゃん!』


いまとなってはこのツッコミが正しいのかもカフカ青年がゲイなのかもわからない。

しかし、粗大ゴミとしてゴミ置場にソファーを廃棄した朝、なんだかとてつもなく寂しい気持ちになった。

色々な思い出を消去してしまったような。


30を過ぎてから、私達は夜遊びを一切やらなくなった。

金銭的に苦しかったし、何よりそれにさく時間がなかった。

そしてもう女遊びに悦びを見出すことができないこともわかっている。

それでもまたカフカ青年とガールズバーに行きたい。


「店内で待ってます。バーで待ち合わせとは、僕らも大人になったものだ」

そんな会話の全てを、懐かしく思う。


あの日々は、間違いなく不毛だった。