「とても不思議な気分だから先にみんなに謝っておきたい。もしも明日同じ質問をされたら全く違う答えを言うかもしれない。それくらい不思議な気分なんだ」
エリミネーションチェンバー2023終幕。
全ての試合を終えた後、記者会見でサミ・ゼインはこう切り出したのだった。
小学校2年生からプロレスを観続けている私にとって、今大会メインイベントの統一世界王座戦、王者ローマン・レインズVS挑戦者サミ・ゼインは、
ファンとして観戦者として30年弱のプロレス歴の集大成となる試合だった。
10年近く前、日本武道館の会場外で当時エルジェネリコだったサミ・ゼインは自作のTシャツを売っていた。
不幸にもたまたま日本語通訳たる選手がその場を離れてしまったタイミングでジェネリコTシャツを購入した私に、彼は1500円のお釣りを渡すことに苦戦していた。
「これが1000円札。これが500円。これでOKです」
そう伝えるとマスクの下で微笑みながら彼は私に拙い日本語で「アリガトウ」と言った。
以来私は彼の大ファンだ。
今日に至る道のりは非常に険しく、また、彼のファンとして屈辱にまみれた日々だった。
2013年にWWEと契約を結んでから「正しいことをしていればいつか報われる」と善人であったサミは、反則技に翻弄され大一番で敗北を重ねるというとにかく搾取され続けたように思う。
2017年にまさかのヒールターン。ブーイングを浴びる彼をそれでも私は愛した。
けれども悪に堕ちてからも勝ち星は伸びず(IC王座を3度獲得したが)、近年は小悪党に成り下がり陰謀論を唱え試合もあまりせず、レッスルマニアでは素人のセレブリティと闘い、スタンガンを浴び巨大ねずみ捕りで捕獲されて敗北するという、あまりにも不快な結果を享受した。
屈辱だった。私達ファンは。
しかし、その数日後、ローマンレインズ率いる自身の血族で結成されたブラッドラインに急接近してからというもの、ついに好転の兆しが見える。
10か月に渡り繰り広げられたこのブラッドラインのストーリーは、複雑な人間関係や心情が絡みあい、幾度となく計画変更される台本により、近年、いやプロレス史上に残る至極のストーリーとなり、その中心にサミ・ゼインがいた。
いまから3週間前、ついにブラッドラインと決別。ローマンレインズへの王座挑戦決定。
ストーリーがフィナーレへ近づくのをファンたちは感じると共に、歴代のレジェンド達が彼を「アカデミー賞ものだ」と評する。
迎えた決戦の日。場所はサミの地元モントリオール。
このモントリオールはプロレスファンならば避けては通れない、事件の起こる地。
事前オッズは2日前までレインズ1.05倍に対しサミ8.00倍。
そしてレインズは王座在位期間903日。
最長記録保持者ブルーノ・サンマルチノにあと9日で在位記録が並ぶ程の絶対王者。
傍目からみればあまりにも不利な展開。
それが我々ファンの期待を逆に加速させた。
メインイベント。
入場順は異例の王者レインズが先。
17000人の大観衆、王者レインズが聳え立つリング。
鳴りやまないサミゼインコールにファックユーローマンチャント。
異常な空気感の中、ついに入場曲「WORLD APART」が流れる。
このWORLD APARTはサミの象徴的入場曲で、悪に堕ちた6年前から使用をしていなかったが、前日放送よりついにこの曲に戻った。
それはつまり、絶対的正義であり皆のヒーローであるサミ・ゼインの帰還を意味している。
「Let‘s GO!!」
曲とともに観客がシャウトする。
ゆっくりと現れ、観客を見渡すサミ。
あの九段下の片隅で、一人で自作のTシャツを売っていた男が、17000人もの大観衆の中で、世界最高峰の舞台への花道を歩んでいる。
カメラに映るファンの姿は、応援・・・そして祈りだった。
リングサイドの家族と抱きあい、コーナーポストへ駆けあがるサミに、17000人が祈りの歓声をあげたとき、
私は、泣いてしまった。
ファンとしての不遇が、屈辱が、全て・・・好転したのだ。
ヒーロー、バックボーン、ストーリー、王座、真剣勝負、家族・・・感情。
その全てが最高潮に達したこの瞬間、この試合は
前述の通り、私自身の集大成だった。
〇
「これは夢のような話なんだ。夢を見たとき、ある方向に進んでいてその直前に目が覚めることがあるだろう。今回もそんな感じだ」
試合に敗れた後、サミ・ゼインは記者会見でそう語った。
一撃必殺のレインズのスピアーをカウント2でキックアウトしたばかりか、逆に自身のシグニチャーのヘルヴァキックは試合後もあわせ計3発も当てた。
特に2発目のヘルヴァはレフェリーが不在のためカウントが数えられなかったが、確実に3カウントの倍の6カウントは数えられていた。
たった一人で戦い抜いたサミに対し、仲間と凶器を使用し勝利をもぎ取ったレインズは、たしかに薄氷で、あと一歩だった。
17000人が、いや、テレビやアプリの向こう側もあわせると何百万人ものファンが、大喜びし、声を上げ、願い、叫び、頭を抱えた。
皆が、まったく同じリアクションをしていた。
「まるで夢のようで非現実的で、望みの全てを叶えてくれて、絵本の結末は当然決まっている。今夜はそんなことはなかった。自分の中に、“あの結末を伝えられたらよかったのに”と思う部分が少なからずあるようではダメなんだ。でも現実の部分もある。ハッピーエンドを夢見るようなものだ。惜しかったし、もうちょっとだった。この不思議な感覚は、もしかしたらそのせいもあるかもしれない。わからないけどね」
残念そうに彼は続ける。
「敗れた後に観客の顔をみてそう思ったんだ。傷ついているんだと。みんなとても落ち込んでいるなと」
そして最後に、こう付け加えたのだ。
「このストーリーは、そうなってはダメなんだ」
これで終わりなのか、それとも続くのか。
それは私達にはわからない。
しかし、先に述べた通り集大成だ。
だが私も不思議な感覚だ。
集大成で、素晴らしかった。大満足だ。なのに本当に不思議なのだ。
彼のインタビュー記事を読み、それを白紙のノートに書き写して、私はその不思議な感覚の正体についに気がついた。
同時に、彼がこの「不思議な感覚」という言葉に何を込めていたのかがわかったのだ。
まだ、勝ってはいない。それが足りない。
勝ったというピースの欠如が、この最高傑作に違和感・・・不思議さを出している。
サミ・ゼイン選手。
あなたは私にヒーローだ。これまでもこれからも、ずっと愛している。
だからこそ・・・
まだこの作品を、終わらせないでくれ。