魔界へと消えていくザ・グレート・ムタの後ろ姿は、その日のマスクのデザインも相まってか、2023年ではなく1990年代後半だった。


ついにムタが、この日本からいなくなってしまった。


かつて新崎人生扮する白使とのシングルマッチで白使が持ち込んだ卒塔婆を折り、そこに白使の血で「死」と書きカメラに見せたシーンは、今も色あせないプロレス史に残る名場面のひとつである。


あの試合はとにかくムタの強さと、流血と毒霧、赤と緑に顔を染めながら真っ向勝負を仕掛けていく新崎人生がとても印象的だった。


最終試合においても、対戦相手の中に人生がいたこともあり、そのオマージュが展開された。


卒塔婆に今回書かれた血文字は、あの日の「死」ではなく、「完」だった。






初めてムタをテレビでみたのはいつだったか。


相手はスコットノートンだったと思うが、まだ小学校低学年でプロレスをほとんどみたことのなかった私は白いペイントに長いパンタロンの出で立ちを不思議に思っていたのだろう。


「あれはニンジャなんだ」


父親がそう教えてくれたのを覚えている。


「ザ・グレート・ムタ、見参」


ケロちゃんのこの見参というワードがとにかくかっこよく好きで、且つムタが醸し出すその妖しさに一気に夢中になったものだ。


思い返してみれば難しい感じを初めて耳にしたのも、ムタだった気がする。





最も印象的な試合を問われると数えきれないが、個人的には神宮球場の第0試合で行われたザ・グレート・ニタ戦を挙げたい。


あの頃の新日本プロレスは大仁田厚の大仁田劇場に座巻されていて、その中で偽者であるニタに武藤敬司が不快感をあらわにしたことで実現した一戦だが、とにかくムタが強かった。


初めての電流爆破ということで注目されていたところを、試合序盤から初中盤にかけて妖しさや狂気でムタが一方的にニタを蹂躙する。


そして倒れたニタを背に、ムタは自ら電流爆破のスイッチを押すのだ。ゆっくりと。まるで子供が初めて与えられたおもちゃをいじるように。





武藤敬司が日本と一時期距離をとり、復帰の際にスキンヘッドで現れたとき、それはムタの終焉であると誰もが思っていた。


だがそれでも、ペイントレスラーからマスクマンになり蘇ったムタは、時代を超えたアイコンであった。




そんなわけはないというのに、私はザ・グレート・ムタというレスラーに終わりがくるなんてことは、絶対に無いと思っていた。







時代が終わる、という表現では物足りない。


どこか私自身が終わってしまう。そんな感じだ。


物事には必ず終わりがある。



それは悦びや哀しみがいつまで続くのかということよりも、誰かが私自身の中から去っていくことで、より意味を深め、失意へと誘っていく。



ずっと続いていた現在が過去になり、経験が思い出へと変わる。



きっとこれから、そんなことばかり起こっていく。


その終末が自身の「死」であると思うと、あまりにも切なくなってしまう。


だからこそ、「完」は・・・「完」は良いよね。