安藤が退職した。


もしかしたら以前に書いたかもしれないが、安藤は20歳より入社した女性社員で、エリート高専出の女性社員であり、女性役員の輩出が急務である私の所属会社において、あまりにも露骨なプッシュを受けていた。


何もしなくても数字を稼げるドル箱案件は全て彼女に割り振られ、資格取得面では誰よりも優先的に試験幇助を行い、また将来を見据えて23歳の時には年上の部下を二人つけさせられていた。


反面彼女は打たれ弱く、何かミスがあるたびに泣きながら帰社し、それを上席人がカバーした。

上席達にとっても彼女を役員にすることが直接的に自分の評価に繋がるためにフォローを惜しまなかった。


そして結果的に彼女は24歳最年少で、単独取得はほぼ不可とされていたA+の評価を得て、社長賞を獲得した。

支給された30万円の臨時手当を、彼女は誰かお世話になった人へ奢るでもなく、全て趣味の漫画作成の道具購入に宛てた。


思えばそれを聞いたときに、私たちの怒りは既に臨界点だった。


光の裏に陰、有り。


ドル箱がほとんど安藤に振られてしまうため、必然的に他の課員は新規での案件獲得がマストとなり、ノルマ未達者が後をたたなくなった。

憂いたベテラン社員が「さすがにおかしいでしょ」と当時の上席に苦言を呈したところ、「役員からのお達しなので」と一蹴され、安藤社長賞獲得の裏側でB -の評価を受けることになった。


誰もが安藤にムカついていたが、安藤本人に非はなく、彼女に当たるのは筋違いだと思い我慢していたところに、その本人が容赦なく社長賞賞金を全額同人誌作成料に充ててしまったことで、もう誰も彼女を庇わなくなってしまったのだった。





転機が訪れたのは一昨年の年末だ。


安藤に新たについた部下は、新卒の韓国人で日本語も怪しい女性だった。


その韓国人が、安藤とずっと安藤をプッシュしてきた近野をハラスメントで訴えたのだった。


韓国人でありながら初めての社会人経験を日本で積む彼女にとって、目の前で繰り広げられる安藤プッシュは相当不快だったらしい。

自分がやったことは叱責されるのに、全く同じことをする安藤が叱責どころか褒められる現状が彼女の心をどんどん圧迫していった。


そんな中で近野が安藤と韓国人を飲みに誘ったわけだが、そこで繰り広げられる近野の安藤優秀アピールと安藤の近野へのお酌や気遣いが、どうやら彼女には2人がデキているようにしか見えず、より一層の不快感を増させた。

極めつけに近野は韓国人に向かい「ちゃんと安藤から勉強しろよ!お酌もできないと通用しねえぞ」と時代錯誤な叱咤をした。


これで韓国人は翌週、ハラスメント関連の第三者機関に、近野から受けたパワーハラスメント及び近野安藤両名からのセクシャルハラスメントを訴えたのだ。


こうなってしまうと会社としても今まで通りとはいかない。


近野には降格と異動、安藤にも異動が言い渡された。


地方へ異動となった近野に対し、安藤は首都圏の神奈川だったことから、やはりこの段階でも安藤プロテクトが明らかであり、実際本人にも「ステップアップに異動経験は必須だから」と告げていたようだ。


そしてその神奈川で、安藤は全く通用しなかった。







『こいつ酒癖悪いんすよ!失礼あったらこうやって容赦なく引っ叩いちゃってください!』

そう言って安藤は飲みの席で頻繁に私の頭を叩いた。


たしかに私はお酒での失敗が何度かある。

しかし断言してしまえるほど、安藤の前で失敗はおろか、酩酊、あるいは泥酔状態になったことは一度もない。

そして彼女に酒で絡んだこともない。


にも関わらず安藤は、いくつも歳上の私の頭を引っ叩いてくるのだ。


一度や二度ではない。

別の退職者の送別会では、私は仕事で10分遅刻して会場についていたところ、既に飲酒していた安藤に『おせーよ』と頭を引っ叩かれた。


本当にイラっとしたので容赦なくぶん殴ってやろうかと思ったが、それをやると一撃で送別会が台無しになるのでグッと我慢し、安藤と距離をとった。


以降私は一切安藤と会話をしなかった。



安藤は安藤でそれを察したのか、私に近づかず、私の知らないところで『あの人は酒癖悪いから飲まないほうがいいですよ』と悪口を吹聴してまわっていた。



「やっぱり全然通用しなかったみたいよ彼女。トラブルもめちゃくちゃ多かったみたいだし、何より遅刻癖がひどかったんだってさ」

「へー。じゃあ我々のとこにいたときも遅刻してたんすかね?」

「遅刻を近野さんが直行扱いにしてたみたいだね」


同じ部署だった北山は、安藤の退職日にそう教えてくれた。


「最後のほうは頭にきた神奈川支店長が、安藤があまりにも仕事しないからって自分の目の前に特別席作って監視してたみたいよ」

「やば。ハラスメントになっちゃうんじゃないっすか?」


「そう。だからギリギリまで安藤はパワハラされたって訴えて、神奈川支店長は異動させられたくないから安藤の悪事を事細かに説明してる感じだったみたい」

「送別会無しっすか。将来の役員は既定路線だと言われていた彼女の末路としては…皮肉なものですね」

「人事と総務はいままでの投資が水泡だからね。回収しきれてないだろうし、神奈川支店と揉めてるみたいよ」

「まあ学歴もあるし、別業界行ったほうが良いですよあの人は」

「噂だけど東京の同業他社へ行くみたいよ」

「まあ本人が良いなら…」


「開いてあげないの?送別会」

「開かないっすねー」

「仲良くなかったっけ?」

「めちゃくちゃ嫌いです」

「なんで?」

「気安いんで、あいつ」



彼女はまだ26歳だ。資格も経験もある。

きっと同業他社なら最初はうまくいくだろう。

しかし私には一切関係ないことだ。


「嫌なことされたから仕事関係なく嫌いだと思ってたんですけど、思い返してみれば仕事絡みでもめちゃくちゃ嫌いでしたし、あんなのを露骨に猛プッシュするこのバカな組織もめちゃくちゃ嫌いですわ」

「キミもまさか辞めたりしないよね?」


「辞めるわけないでしょ。このバカな組織以外じゃ俺、通用しないんすから」