ネットニュースを流し見しながら、またか…と思わず溜息をついてしまう。

テレビ東京の人気女子アナ、二股交際疑惑。

現在会社社長と半同棲交際中のテレ東女子アナが、その相手とは違う別の会社社長と交際しているという疑惑のニュースだ。


前置きしておくが、私は不倫や浮気、二股や三股なんかは自分の身にさえ降りかからなければ第三者が大騒ぎして責める必要はなく、当人同士で解決すべきことだと思っている。

なのでこのニュースが真実でテレ東女子アナが浮気していようが、その部分はどうだっていいのだ。


問題は相手だ。


会社社長と同棲。

浮気相手も社長。

はあー…社長すご…


この世のありとあらゆる有限な資源を、有象無象の社長どもが次々と独占していく。


格差よ。


恐らく社長でもなんでもない、この世界の顔のないモブキャラである私は、逆立ちしても女子アナと付き合う、いや女子アナと会えることすらないだろう。


どこで道を違えてしまったのか。



テレ東女子アナはミス慶應の経歴がある。

慶應と言えば福沢諭吉、福沢諭吉と言えば学問のすゝめ。


その学問のすゝめでは天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。即ち人間は生まれながらにして平等であると説いている。

しかしながらどうしても生まれた家の裕福さや出自で多少平等ではなくなる。

その差を埋めるために学問がある。

みんな、勉強をしよう。


そう書かれている。



私はまったく勉強してこなかった…



この勉強量こそが差であり、社長になれない原因であり、女子アナと付き合えない原因だろう。


宮本から君へ、で宮本が交通事故で入院した際に同室のおじちゃんが「男なら社長になるかならないかが勝負だ」と言っていた。


私は紛れもなく敗者だ。

現にこの女子アナも社長大好きを公言し、銀座の高級ブランド店でわけのわからない腕時計を買ってもらっている。



私は敗者なのだ。




たまに死んだ後のことを考えて鬱になる。

死後の世界を信じているし、むしろ死後の世界があってもらわないと困るわけだが、どこかきっとそういうものがないのだろうと感じるときがある。

死んでしまったあとは何も無くなってしまうだけであると。


それが摂理なんだから仕方ないと割り切ることが、不思議なもので私にはできない。

敗者であるにも関わらず、同じような世界が、死後もあってほしいと思ってしまう。


そう考えると、意外と私は、いや誰もが、敗者ではないのかもしれない。