まずはサッカー日本代表の皆さんお疲れ様でした。

何度か日記に書いているように私はサッカーをほとんど観てこなかったので、ワールドカップ始まる前の熱は非常に冷めておりました。

しかしながらこの日本国が熱くなったように、私もこの常軌を逸しているレベルのとんでもない熱さに影響され、昨日は深夜にも関わらず一睡もせずに手に汗を握り、テレビ画面にかじりついてしまいました。


ありきたりな言葉しか思い浮かばず、恥ずかしい限りですが、ありがとう日本代表。


まだ余韻が消えません。







まるで、死刑台へ歩を進めるかのようだった。




「PK観るのやめませんか?」


試合開始前からわかりやすく、時には感情的で乱暴で、常に饒舌だった本田圭佑は静かに言った。


「PKは運ですから。だから解説することがないし、何より観てられない…」


あまりに悲壮感に満ちたこの言葉に、Abemaで試合を観戦していた多くの視聴者が、サッカー経験、いや、スポーツ経験の有無に関わらず、感じとったはずだ。


5人のキッカーと1人のキーパーがいま置かれている状況の過酷さを。


延長後半、それまでずっと饒舌だった本田圭佑の口数が急に減った。

いまにして思えば、あれはその先にあるPKを蹴らなければならないシュチュエーションを推しはかり、ナーバスになってしまったのだろう。


とんでもない極限の緊張舞台を、120分も走り続けた選手達は誰が見てもヘロヘロだった。


それが終わりではないのだ。

ここからそのピークが始まるのだ。


ドローン空撮。

キック位置へと歩いていく先制日本1人目のキッカー南野選手の後ろ姿には、たしかに何か…ありとあらゆる何かが渦巻いているのが見えた。


それはまさに死刑台へと歩み行くそれだった。









試合終了後、日本代表への称賛と敬意で溢れ返っていると思われたTwitterは、決してそうではなく、誰が悪いのかあの戦術はどうなのかもっとPKを練習しろとあまりにも心無いツイートが一部見受けられた。

試合直後だというのに。思わずゾッとしてしまう。



前述の通り私はサッカーをよく知らない。

そのためやはりサッカーというスポーツは観ている人間もどうしようもない連中なのだろうと思えてならない。


胸糞が悪くなり、すぐに呆れる。


他のスポーツだって同じだと言う人もいるかもしれないが、ここまでひどいものだっただろうか。


アフター5に飲み会目的でフットサルをする会社員が、声を大きくして言っていた。

「もう日本は善戦で終わって良しじゃない。勝ち負けにこだわっていかなきゃいけないからこそ、ミスを責めるべきだ」

と。


彼はわかっていない。

勝ち負けにこだわっていくからこそ、責めることができない事態が、真の勝負には溢れていることを。


その要因が運であるというのならば、尚更私たちが何かを言うことはできない。



運は誰かが責めるものではなく、自分自身が呪うものだからだ。



そしてそれこそが、勝負事における必然なのだと、私は思う。