日本代表、まさかのジャイアントキリング。

サッカーワールドカップ初戦にて優勝経験国ドイツを撃破。


お祭り騒ぎである。



とはいえ私自身は圧倒的なサッカー情弱のため、この快挙をつい先程知ったのでした。


ほとほとサッカーに興味がない。

中学生まで野球をやり続けてしまった影響か、私の人生はサッカーというスポーツを通らなかった。

もう何十年も前の話になるが、日韓共同ワールドカップで、トルシエジャパンがなんかやたらと勝ち進んだときは全く知らない私でもテレビにかじりついた記憶があるが、いまとなってはそれすらも忘れかけている。


大学3年の時、私はとにかくイベントに飢えていて、まったく興味もないにもかかわらず渋谷のスポーツバーにサッカー日本代表戦のライブビューイングを観に行った。

後にも先にも渋谷のスポーツバーでサッカーを観たのはそれ一回きりだったが、あの頃の私にとって渋谷のスポーツバーで日本代表戦を観るということは、クラブで女の子と朝まで踊るくらい現実味の無いことで、ぜひとも経験してみたかったのだと思う。


私をスポーツバーへ誘った友人は、ひとりは酒癖が悪くまたあきらかに素行も悪い危険人物で、もうひとりはとにかく空気が読めないし声はの太いし変なサングラスをかけてくるしワキガだしで嫌いだった。


何の大会のどこの国との試合だったかも覚えていない。

たしか本田は出ていて、中田は出ていなかった。

本田の後ろに🔼をつけて"本田さんかっけえ"と読むのが流行っていた。


試合前に同行友人の素行不良くんが「これ着て」と日本代表のレプリカユニフォームを渡してきたので羽織ると、"OKAZAKI"とプリントされていた。

オカザキさんがどなたなのか私は存じなかったが、とりあえずそれを着てスポーツバーに行くと、超満員の客皆がレプリカユニフォームを着ていた。


足の踏み場もない状況でぎゅうぎゅうになりながらモニターの前にいくと、まだ試合前なのにもかかわらず全員でオーニィーッポン、ニイッポン、ニイッポン、ニィーッポン…はい!はい!はいはいはいはい!を歌わなくてはならなくなった。


私は本当にこのオーニィーッポン、ニィーッポン、ニイッポッン、ニイッポン、はい!はい!はいはいはいはい!がめちゃくちゃ気持ち悪くて嫌いだった。

うんざりしながら場の空気に合わせていると選手入場やら国歌斉唱やらキックオフやらとにかくイベントが盛り沢山で頭がおかしくなるくらい都度都度叫ぶ周囲に適合しようととにかく必死。

パワーを送る!と皆で手をかざしたり、知らない人と一緒に肩を組んだりするのもとにかく嫌で嫌で仕方なかった。


試合は日本が勝った。

点が入った瞬間も勝利が決まった瞬間も爆発したようなお祭り騒ぎで誰かれかまわず抱きついてくる。

とりわけ女性の側には一斉に男性が群がり、例の如くオーニィーッポン、ニイッポン、ニィーッポン、ニイッポーン、はい!はい!はいはいはいはい!をやっていた。


とうに素行不良くんとも嫌いサングラスくんとも別れ、もみくちゃにされるなかサッカーにいっさい興味の無い私の孤独な戦いが続いたのだった。


そして終わってからも地獄。

一刻も早く外に出て家に帰りたかったが出口まで辿り着くのは到底無理なほど人がごった返してくる。


「すみません…出口に…」

と懇願するように騒いで導線を塞ぐ複数名に声をかけたが、どれもまともに話をきいてくれず、結局オー!ニィーッポン、ニイッポン、ニィーッポン、ニィーッポン、はい!はい!はいはいはいはい!をやられて道をあけてくれない。


仕方なく文字通り人の波に流れを任せていると、30分くらい経ってから突然多くが店外へと出ていった。


助かった。帰れる…


そう思ったのも束の間、はぐれていた素行不良くんが私を見つけて声をかける。

「何してんの?いくよ?」

「帰るの?」

「違う!交差点!」

「帰るってこと?」

「いいから!」


言われるまま渋谷スクランブル交差点までついていくと、そこから更におぞましいことが起こっていた。



諸賢もテレビで観たことがあるのではないか。



駅側、繁華街側、それぞれに大量のサッカーサポーター達が集まり、スクランブル交差点が青信号になると双方から向かい合うよいに前進。

すれ違いざま、いやすれ違いというよりは合流というほうが正しい。合流しハイタッチを全員でするのだ。

もちろんもみくちゃになりながら。もちらんオーニィーッポン、ニイッポン、ニィーッポン、ニィーッポン、はい!はい!はいはいはいはい!もやりながら。

これを何度も何度も繰り返す。

信号が点滅するとそれぞれ進行方向へ散っていき、また赤信号中に待機し、青信号になるとまた信号を渡りながらハイタッチをする。

何往復も何往復もスクランブル交差点をするのだ。


マジで正気ではない。

私は興味本位はとうに過ぎ去り、本当にウンザリしていた。

何なのこれ…マジでアタオカなんですけど。楽しくないし。


「ちょっとマジでしんどいから俺帰るね」

「はー?もっと遊ぶうよ。これがサッカーの醍醐味だよ?」

「いやさすがに耐えきれない…」

「お前さ、なんか暗いよ。こういうとき明るくなんなくてどうすんの?せっかくなんだから楽しむだけ楽しまなきゃ損じゃん?一回きりの人生だよ?」

「ごめん。ちょっとほんと無理」

「もういいよ。俺は残るから」


こうして素行不良くんと別れ私は渋谷を脱出した。



前述の通りこれ以降私はサッカーへの関心を一切失い、サッカー情弱の一途を辿っている。


素行不良くんとはこの後あまり絡むことはなくなっていった。

誰かが「あいつはつるんでみて初めてわかるけどほんと腐った野郎だから誰も友達が長続きしないんだよ。違法薬物かなんかやってんだよ。変なんだよあいつ」と言っていて、それを聞いた私は少なからずなるほどたしかにそうだと思うところがあり、積極的に友達であるのをやめてしまった。


嫌いサングラスくんに至ってはそれ以降も一切会話していない。なんならあの日、はぐれてからどうなったのかも知らない。サングラス割られたんじゃねえか?どうだっていいが。







数ヶ月前、素行不良くんの訃報を聞いた。


伝えてきたのは素行不良くんの元カノ、つまり私とも同じ大学の女性だった。


『自殺だったんだって。信じられる?』

「なんかたしかにちょいちょい死のうと思ってた、死のうと思ってたって言ってたな」

『私は少し付き合っただけですぐ別れちゃったからあれだけど…でもお通夜行って悲しかったわ』

「へー…知らなかったわ…」

『なんかねー。深い関係だった人が死ぬってねー。しかも自分で。あれ?仲良くなかったっけ?』

「ちょっとの期間だけねー。どうせ違法薬物とかやってたんでしょ?彼、変だもん」

『さすがに死んだ人にひどくない?』

「どんな死に方だったの?教えてよ」

『言わなきゃよかった』



残念ではあるがまったく悲しくない。

彼はすっかり他人であり、通り過ぎていく風景の一部になってしまったからだろう。


非常にどうでもいいことだ。




古谷。観た?


サッカー、ワールドカップで日本代表がドイツに勝っちゃったよ。

コロナ禍だってのにスクランブル交差点はあの日のような大騒ぎになってたよ。

人生楽しんだもん勝ちが、テレビの向こう側で溢れてたよ。

古谷はそこにいなかったの?


いないか。それに観てないか。


多分古谷もサッカー好きなわけじゃないもんな。

あの時はなんか無性に騒ぎたかったし、お祭りしたかったし、その時はその時で死にたかっただけだよね。

そんなもんだよな。一度きりの人生なんて。


わかるよ。すごく。