1997年、マサラタウンを10歳で旅立ち。
2022年、ついに世界大会制覇。

都合上、物語は時系列を縮小して描かれるため、サトシは10歳のままだが、アニメ開始当初サトシと同じ年齢だった私たちはなんだか25年もの月日を掛けて彼はひとつの夢を叶えたのではないかと思い、嬉しくなってしまう。



ポケットモンスターの主人公サトシが世界大会を優勝したという速報が渋谷の大型モニターで流れた時、騒然とする聴衆の中で私は静かに画面を眺めていた。



亡くなってしまった石塚運昇氏や首藤剛志氏もきっと天国で喜んでいるに違いない。


そういえばポケモンの主題歌は、よく聴き直してみると、どれも夢に向かって一歩ずつ近づいているような歌詞になっている。


「ああ、あこがれのポケモンマスターになりたいな。ならなくちゃ。絶対なってやる」

「夢のつぼみはつぼみのままだけど、少しずつ膨らんできている。そんな気がするよ」

「あきらめかけたこともなかったわけじゃないけれど、旅立ちの朝の燃えているあの俺が、それでいいのかと問いかけてくるよ」


そのあとの主題歌に関してはわからない。

年齢があがるにつれてテレビでアニメ自体を観なくなってしまったし、こういうキラーコンテンツ系アニメの曲は男性女性アイドルの曲へと移行してしまった。



何よりも思うことは


私は老けてしまったということだ。


どんどん老けていく。

サトシにまるで相反しているかのように、この35年、人生における成長も達成もないまま歳をとってしまった。

もちろん嬉しいことや、大きなイベントはあった。

けれども、人生でアニメを観ていた年数よりも、観ておらずにそれ以外で過ごす時間が長くなるシンギュラリティの歳を迎えた。


昔父親に買ってもらったサトシの初代帽子はどこかへなくしてしまった。

いまの子供たちはYouTubeで、私たちが昔一生懸命覚えていたポケモン言えるかな?を聴いている。


とにかく時間が流れてしまった。


そんなことを考えながら、喧騒の中、大型モニターを見ていた。