今日は個人の趣味と思い出に浸りたい。

小学校2年生の頃からプロレスファンになった私にとって、当時の全日本プロレスはまさに四天王時代だった。

 

三沢、小橋、田上。外国人もスティーブウィリアムスにスタンハンセン。

 

強豪ひしめくあの全日本の中で私のヒーローはまぎれもなく川田利明だった。

 

ウィリアムスとの三冠王座戦で一気に川田のファンになった私は、初めて生で観た全日本プロレスの日本武道館大会メインイベントも川田利明VSスタンハンセンであった。

 

四天王プロレスはもちろん、その全ての試合が私に魅力的であり、夜間に放送されていた全日本プロレス中継の録画を、翌日かじりつくようにテレビで観ていたことを覚えている。

 

もっとも思い出深い試合が2000年10月の東京ドーム大会のメインイベントだ。

 

あの時、ジャイアント馬場の死去と所属選手大量離脱でわずか3人のみとなってしまった全日本プロレスが、その3人で団体の威信と誇りを賭け、もうひとつの大手新日本プロレスと全面戦争にうってでた。

 

ウィリアムスがノートンに勝ち、渕越中組が蝶野ミスターT(後藤)組に敗れ、1勝1敗で迎えた大将戦は川田VS佐々木健介。

 

3人しかいない現状と王道プロレスの全てを背負った川田が敵地のメインイベントの舞台に立った姿は、絶対に負けられない、不退転、不撓不屈そのものだった。

 

あの日の超満員の観客席は殺気立っていた。

しかしそれはよくあるお互いの団体が・・・というわけではなく、全日本プロレスの灯を消してはならないという、プロレスファンの願い・・・いや、意地によるものだったと思う。

 

小学校6年生で父親と観戦していた私には、その殺気は恐怖だった。

 

 

だが。

 

 

試合は川田の王道の驀進だった。

 

打たれても打たれても立ち上がり、意地でやり返す。

まぎれもない王道が、ストロングスタイルを徐々に凌駕していくのがわかる。

 

そして訪れる歓喜の瞬間。

 

満身創痍の中でカウンター気味に顔面斬りが健介の顔面をとらえる。

 

覆い被さる川田。会場中の祈りのような「ワン!ツー!スリー!」の大合唱。

 

爆発する歓声。

 

3カウントが入り川田の勝利が確定した瞬間、地響きのような歓声と共に、周囲の客は他人同士で抱き合い、握手をした。

 

私のプロレス観戦の中で、最高の瞬間であった。

 

 

 

 

セミリタイア中の川田利明にワンモアマッチのフラグが立ったのかもしれない。

 

かつて付き人だったタイチが「引退する前に俺と闘え!」と解説席にいる川田利明に投げかけた。

 

タイチの技の多くが、川田から影響を受けたものばかりだ。

 

いつかのハッスルで、お笑いギミックの当時石狩太一が、ハッスル軍を裏切りモンスター軍についた川田にけじめの一騎打ちを挑んだことを覚えている。

 

試合序盤はトラップや猛獣用の捕獲網を駆使し、およそプロレスではない攻防を仕掛けた石狩が、川田の厳しい攻撃にギミックを捨て感情的に攻撃を仕掛け、それを冷静に叩き潰す川田が印象的だった。

 

なつかしい。

 

川田が試合をするとなると2010年10月以来となる。

 

実に12年もの月日が経った。

 

 

 

 

私はかつて両国にある高校に通っていた。

 

11月に学園祭があるのだが、その年に学園際にフラッとタイチがいた。

 

この日は両国国技館で新日本プロレスの興行があり、川田利明VS柴田勝頼が予定されていた。

 

 

「川田利明に会えますか?」と尋ねる私にタイチは「(会いたいなら)この後試合観に行きなよ」と言った。

 

私はこれをうけて学園祭で盛り上がる中友人と2人で家にしれっと帰り、親に金を借りて両国国技館の当日券を買った。

学園祭が終わりクラスのカースト上位が後夜祭で盛り上がったり、来場していた女子高生たちと二次会へ行ったりする中で、私は国技館へプロレスを観に行ったのだ。

 

バチバチファイトを仕掛ける柴田へ横綱相撲で反撃をする川田は、初めて武道館で観た時と、あるいは東京ドームで健介を倒した時と、全く色褪せなかった。

 

 

 

たとえどんなことがあろうが、川田利明のワンモアマッチがあるのならば、私は絶対に観に行く。

 

川田利明は私の人生だ。

 

それが休業の延長になるのか。あるいはピリオドなのかはわからない。

 

だがそれでも川田に言わなければならない。ファンとして。

 

 

「まだ、闘える!もう1試合!!」