誰に対してもそうであるように、死というものは生きとし生けるものである以上確実に訪れる。

だがそんな決まり事でさえも、この人には適用されないんじゃないか?と思わせる人は確かに存在する。


アントニオ猪木はまさに、そういう概念を超越した人物だった。


しかし。


2022年10月1日、アントニオ猪木、永眠。

享年79歳。


私は小学二年生の頃、プロレスにハマって以来、今日まで28年間プロレスを愛し続けてきた。

その私にとって、猪木氏御逝去に関する日記を書くのは、いわばプロレスへの敬意であり、義務であると感じている。


だからこそ、書く。悲しみの中で。



その人柄や功績についてはもう語るまでもなく有名なのでその点は避け、自身が見たアントニオ猪木について想いを馳せたい。


忘れもしない1996年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会。

アントニオ猪木vsビッグバンベイダーのシングルマッチ。


プロレス好きの父親に連れられて観に行ったこの試合が、アントニオ猪木の試合を生で観る最初で最後の機会だった。


「アントニオ猪木ってすごく強いんでしょう?ベイダーはめちゃくちゃ強いけどどっちが勝つのかな?」

無邪気に尋ねる私に「わからないなあ。猪木もトシだし、ピークはとうに過ぎているからね」と父は答えた。


それでも父の「でも強いから、猪木は」という声にどんな試合になるのか期待は高まっていた。


いざ始まった試合は壮絶だった。

ベイダーの攻撃が苛烈を極める。

序盤からはもちろん、チェンジオブペースに使われるベイダーハンマーが猛威を振るい、猪木の脳天を揺らす。

カウンター気味にもきまるベイダーアタックで決して小さくはない猪木が吹っ飛ぶ。

多彩なスープレックスやチョークスラムでちぎっては投げ、ちぎっては投げ状態。

その場とびのベイダープラッシュやセカンドロープからのリバーススプラッシュは、ベイダーの巨体だからこそより説得力は増し、どれがフィニッシュホールドになってもおかしくない技だった。

そしてトップロープからのムーンサルト。200kg近いベイダーが空中で一回転したとき、歓声と悲鳴が入り混じったのを覚えている。

それをギリギリでキックアウトする猪木に、これは壊されてしまうんじゃないかと不安を抱いた。

だが

追撃するベイダーの突進をかわし、巨体をボディスラムで投げ捨てた刹那、腕ひしぎ逆十字。

自分よりデカい相手の倒し方をまるで教えてくれるかのように、ワンチャンスで一気に勝負をかけ、たまらずベイダーがタップ。

この瞬間客席は大いに沸いた。


あれはまさしくロマンだった。

カウント3ギリギリまであきらめない生き方が、人生が・・・道がそこで私に示されたのだといまでは思っている。


日本人にはそれぞれ、それぞれの猪木像がある。

それはヒーローであり、それは優しい男であり、それは奇人であり、それは闘魂であった。


”燃える闘魂”は、常に魂を燃やし闘う比類なき覚悟であり、そして日本の強さの象徴だった。

プロレスファンとしてではなく、日本人として、象徴を失ったことを心の底から寂しく思う。


「(死は)みんなが必ず通らなきゃならない道だから」


誰もが知る「道」という言葉が、ここでも使われるのが印象的だ。


そしておそらく、その道は死して尚、続く。


アントニオ猪木こと、猪木寛至氏のご冥福を心よりお祈りいたします。