仲の良い後輩である川崎の退社が発表された。


朝のオンラインでのミーティングの際に、上司が「おめでたくもあり、寂しくもあるお知らせですが」と前置きされ、

「川崎さんがこの度結婚することになり、それに伴い次月末を以て退職することとなりました」と全員に告げた。


『突然の報告で申し訳ありません。来月で退職することになりますご迷惑をお掛けします。皆さん、残りの期間もよろしくお願いします』


そう彼女は短く述べた。



川崎は今年で未だ入社3年目であるが、社交性が高く、周囲の私を含めたおじさん達からはとてもかわいがられていた。


だがやはりいまどきの女の子である彼女は常に『仕事辞めたいです』を繰り返してきた。


数カ月前に飲んだときには彼女は私に『彼氏が地方の老舗飲食店の跡取りなんで結婚してさっさと仕事辞めたいんですよね』と漏らしてきたので、酔っ払った私は「仕事の楽しさがわからないうちにやめるのはもったいないよ」とこれみよがしに上からアドバイスをしたところ


『固定客からしか大型案件とれないあんたが仕事語るな!!!』と激怒されてしまった。



どうやら彼女は一度も私を尊敬する上司どころか、先輩としても見ていなかったようだ。







『遅くなりましたが直接。朝のミーティングの通り退職することになりました』



午後になると彼女は私に直接ラインでこう報告をいれてきた。


「おめでとう。良いことじゃないか。寂しくもあるけど」


『そうですね。せっかく仲良くなれたのに寂しいです』


「そうだね。じゃあ寂しさを埋めるためにこれから俺の携帯に入っている全ての”おめでとうスタンプ”をキミに送り付けるね」



こうして私は続々と彼女におめでとうをぶつけた。



怒涛の寅さんスタンプから鋼の錬金術師スタンプを経て、アフロ田中の登場人物村田が「いっけえ!フットインザドアー!!」を炸裂させるスタンプを放ったところ、川崎から『やめてくださーい。通知切りまーす』と返信が入った。


それに懲りず、キングダムハーツの「繋がる心!!」というなんとも暑苦しいことこの上ないスタンプを連投しまくったところ、彼女からの既読は消失することとなった。




心、繋がらず。



いやむしろ繋げる気がないというより、繋がらせまいとする所業だ。




今年は、別れがいつもよりも多い。







感慨深い思い出がある。



川崎は入社時、同じ部署だった武田の教育を受けていた。


武田は家族愛に溢れ、仕事熱心、且つ後輩や新入社員の面倒見が良いことで、周囲からは頼られていた。



そんな武田が私は嫌いだった。


やたらと残業はするし、仕事ぶりはくどいし、戦闘機のパイロットみたに子供の写真をデスクに飾り指でつついたりしているし、

何より笑いどころが一切わからない笑い話を自分で笑いながら仕掛けてくるので、ストレスにすらなっていた。


「きみの仕事のやり方は信用できないよね。俺が上司だったらNGだな」


などと、本人は無意識かもしれないが、平気で人の心を抉るようなことをへらへらしながら言っていた。



そんな武田の教え子だから、川崎とはきっと一生話すことはないだろうと思っていた。



けれどもある日、川崎が私に言うのだ。


『もしかしてですけど、武田さんのこと嫌いです?』



罠みたいな誘い水ではあったが、もう心底うんざりしていた私は川崎に伝えた。

「わかる?俺めっちゃ嫌いなんだよあいつ」



彼にそんな悪気はないので仲良くしてください、とでも言うのかと思ったが、彼女の返答は意外なものだった。


『よかったー!!私めっちゃあいつ嫌いなんです!!きいてください!』



思わずテンションがあがってしまったのを覚えている。


昨今では他人の悪口を言う人間はとにかく心が貧相だと、いや目には目をで悪口かましてんじゃねえよ現象でそういうことを口にする人は少なくなっていただけに、これから大好物のような話がくるであろう彼女の慟哭は、私を大いにワクワクさせた。



『この間、現場に行ったら雨が降ってきたんです。武田、そもそも不潔だから傘持ってないんすよ。でも私は傘を持ってる。上司が濡れながら仕事してるのに新人の私だけ傘さしてるの気まずいじゃないですか。だから武田が濡れないように私、傘をさしてあげたんです』


「気遣いでね」


『そうです。そしたらあいつ、いきなり振り返ってきて、私に顔近ずけて、真顔でこう言ったんです。‟ねえ・・・俺勘違いしちゃうよ?”って。マジきもいきもいきもいきもいきもいきもい!マジ私無理です!!!』



とんでもない爆弾話ではないか。



『別の日に‟明日行く現場、しっかり予習しといて”って事前に言われたんです。私、しっかり資料読み込んで、なんでも答えられるようにしたんです。で当日、駅で待ち合わせしたら‟これからテストします。俺を現場まで、連れてって”って言うんです』


「ええ?道順のテストなの?」


『さすがに地図見ようとしたら”予習したんだよね?携帯没収~”って取り上げられたんですよ!それで仕方なく次右ですか?左ですか?って武田に訊いたら”さあて、どうかなあ?”って超にやにやしながら言ってくるんです。地獄ですよ』


「めちゃくちゃやばい奴じゃん」


『で仕事終わったら昼行こうってなって。なんか‟前から女の子と言ってみたかったんだよね~”って高い蕎麦屋に連れてかれて。2,000円の蕎麦奢ってもらったんです』


「えー。それはそれでキモイな」


『そしたらあいつ!!!インスタに全体公開で私と昼食ってる画像アップしたんですよ!!!”女の子とランチ~”って』


「めっちゃきもいなw」


『あれからあいつ、ずっと私に言うんです。”2000円の蕎麦奢ったよね?”って。ずっと恩着せがましく言ってくるんですよ。無理!それなら私2000円返します!!!2000円くらいでウザすぎるんですよ』



このように、宝庫のような悪口を彼女は吐露したのだ。



これで一気に仲良くなった私達は、以後も飲み友達として他人の悪口に溺れる日々を送った。






『彼氏は金持ちなんです。地域で有名な。玉の輿ってやつ、掴んだんです』


「いいなあ。選ばれし者じゃん」


『この仕事、続けるんですか』


「続けるよ。他にやることないから」


『なんか、すみません。しょーもない理由で辞めようとして』


「いいよ。本音ではやめてほしくないけど、こういうのは早いほうがいいよ。双方にとって」



数回に渡りおめでとうを彼女に伝えたが、いまひとつ盛り上がりにかける感じがした。


涙もでない。そこまで感傷深くもならない。


前述の通り、ここ1年はもっと大きな別れが数回あった。


だからこそ、彼女の消失は、水紋がなくなり次第日常の中に溶けていくだろう。



『あと1カ月。たくさん遊んでください』



彼女のそれが、タイムリミットを私に印象付けた。


その数字が減っていくことを考えると、なぜだか少しずつ辛くなっていくことがわかった。

不思議なものだ。



「それはいいけどキミさ、クソ案件引き継がないでよ?キミの案件売上に繋がらないから嫌なんだよ。遠いし」


『ちゃんと根回ししときますよ』


「頼むよ。俺はいまや成績1位だよ。クソ案件で煩わせないでよ」


『はいはい。固定の相手だけでいっぱいいっぱいですもんね』



ついつい憎まれ口をたたき、嫌味で返されてしまう。



もう嫌だって、疲れたよ、なんて本当は私だって言いたいんだ。


でもそれをキミに言ったら終わりだからねー。





あと1か月、俺はダサくかっこつけるよ。

かっこつけながらダサく生きるよ。


キミが選ばなかった世界で、生きるかっこよさを先輩として最後に見せるよ。自己満だけど。


それがせめてもの、キミよりも楽しく幸せな人生を選んだという、俺の言い訳になるからね。