家を出るときに僕が持ち出したのは、財布、ポケットティッシュ、携帯電話、ウォークマン(音楽はどうしても必要だ)、村上春樹の文庫本、その日の日経新聞朝刊だけだった。

1泊の旅行だったので着替えはいらないし、必要以上に荷物を持つのはそれだけ無駄な体力を消耗させる。 

あらかじめJTBなりHISで切符とホテルをおさえれば、費用は70%で済む。

しかし計画性があればそれは観光であり、旅ではない。

そんなつまらないことはしたくない。 

  
私は漂白の旅に出るのだ。


東京駅に着いて、北海道に行くことになるかもしれないし、沖縄にルートを変えることもある。何に縛られることもなくこの2日間はどこへでも行こうと思った。 

夕方の4時に秋葉原を出て、京浜東北線で眠り、名古屋までの新幹線ではお茶を飲むか、お煎餅を食べるか、トイレに2回行った以外は寝ていた。

名古屋から伊勢市までの特急でも寝ていた。

そうして8時半頃、ようやく特急は伊勢市に着いた。 

自動改札もなく、駅員もいなかった。

駅員は若い女の子の清算の対応をしていた。
女の子は電車賃を値切っていた。 

私は駅前の電話ボックスに入り、そこでタウンページの旅館ホテル欄を眺めた。

泊まるホテルに関しては大体イメージができていた。 

一番下に書いてあった「ドルフィン・ホテル」がそれだった。

「いるかホテル」

これ以外に泊まるべきホテルは無いような気がした。 

私はいるかホテルに電話をかけた。

はっきりしない声の男が電話に出て、ダブルかシングルの部屋なら空いていると言った。

ダブルとシングル以外にどんな部屋があるのか、と私は念のために訊ねてみた。

ダブルとシングル以外にはもともと部屋はなかった。

少し頭が混乱したが、ともかくシングルを予約し、料金を訊ねてみた。

料金は私が予想していたよりも40%も安かった。 

いるかホテルは小さく、無個性だった。

これほど個性がないホテルもまたとはあるまいと思えるくらい無個性なホテルだった。

その無個性さにはある種の形而上的な雰囲気さえ漂っていた。

ネオンもなく大きな看板もなく、まともな玄関さえなかった。

レストランの従業員出入口みたいな愛想のないガラス戸のわきに「ドルフィン・ホテル」と刻まれた銅版がはめこまれているだけだ。いるかの絵さえ描かれていなかった。 

ドアを開けると、中には思ったよりも広いロビーがあった。

ロビーのまんなかには応接セットが1組と大型のテレビが1台置いてあった。

つけっぱなしになったテレビはクイズ番組を映し出していた。人影はない。 

ドアの両脇には大きな観葉植物の鉢が並んでいた。葉が半分変色している。

私はドアを閉め、その2つの鉢のあいだに立ってしばらくロビーを眺めた。

よく眺めてみるとロビーはそれほど広くはなかった。

広く見えたのは家具が極端に少ないせいだった。

応接セットと柱時計と大きな姿見、それ以外には何もない。 

僕は壁によって時計と鏡を眺めてみた。

どちらもどこからかの寄贈品だった。

時計は7分も狂っていた。

鏡に映った私の首は私の胴から少しずれていた。 

応接セットもホテルそのものと同じくらい古びていた。

布地のオレンジ色はかなり奇妙なオレンジ色だった。たっぷり日焼けさせたうえに1週間雨ざらしにして、それから地下室に放り込んでわざわざかびをはやしたといったタイプのオレンジ色だ。 

近づいてみると応接セットの長椅子には頭の禿げかけた中年男が乾燥魚みたいな格好で寝転んでいた。

彼は最初死んでいるように見えたが、実際は眠っているだけだった。

鼻が時々ぴくぴくと震え、鼻のつけねには眼鏡のあとがついていたが、眼鏡はどこにもなかった。

とするとテレビを見ているうちについ眠り込んだというわけでもなさそうだ。わけがわからなかった。 

私はフロントに立ってカウンターの中をのぞきこんでみた。

誰もいなかった。

私はベルを鳴らした。

チーンという音ががらんとしたロビーに響きわたった。 

30秒待ったが、何の反応もなかった。

長椅子の中年男も目を覚まさなかった。 

私はもう一度ベルを鳴らした。 

長椅子の中年男がうなった。

どことなく自分をせめているようなうなり方だった。

それから男は目を開けてぼんやりと私の姿を見た。 

私はたたみかけるように3度めのベルを鳴らした。 

男はとびあがるように長椅子から起きるとロビーを横切り、私のわきをすり抜けてカウンターの中に入った。男はフロント係だった。 

「どうも申し訳ありません」と男は言った。

「本当に申し訳ありません。お待ちしているうちについ眠り込んでしまいまして」 

「起こして申し訳ない」と私は言った。 

「いえいえ、そんな」とフロント係は言った。 

その夜は二階にある薬草風呂というお風呂に入ってみた。

私以外には誰もいなかった。湯からは薬草の匂いだした。 


翌日(つまり今日)7時に起きて、ホテルで朝食をとり、チェックアウトをすると外宮まで歩き、そこからバスで内宮へ行った。

伊勢神宮では熱心にお参りをしている人が多かった。

正直、神様と私は関係ないと思っているが、深い自然のなかの参道を歩き、手を合わせると心が落ち着いた。 

私は休憩所のベンチに座り、身体の力を抜き、頭のスイッチを切り、存在を一種の「通電状態」にした。 

私はそれをきわめて自然な行為としておこなった。

ほどなく私は意識の周辺の縁をふらふらとさまよい始めた、縁の向こう側には暗い深淵が広がっていた。ときおり縁からはみ出して、その目もくらむ深淵の上を飛んだ。

しかし私は、そこにある暗さや深さを恐れなかった。どうして恐れなくてはならないのだろう。

その底の見えない無明の世界は、その重い沈黙と混沌は友達であり、今では僕の一部でもあった。私にはそれがわかっていた。

その世界にはノルマもないし、おっかないお客さんもいないし、嫌な上司もない。

三井住友銀行カードローンもないし、おっぱいパブも密着エステもない。

でもそれと同時に、RADWIMPSもいない。

そこにはすべてがある。

しかしそこには部分がない。

部分がないから、何かと何かを入れ替える必要もない。

取り外したり付け加えたりする必要もない。

難しいことは考えず、すべての中に身を浸せばそれでいいのだ。

それは私にとって何にもましてありがたいことだった。 

帰りの新幹線の中で、初老の男と女子大生が話していた。

最初は家族、知り合いかと思ったが、どうやら2人はその車中で知り合ったようだった。

「2.999・・・」とは何の仕事でしょう。と男は女子に質問し、女子はしばらくして「保母さん」と答えた。どうやらそれば正解らしかった。 

初老の男は自分が今読んでいる本について語り、女子に薦める本を手帳にリストアップして手渡した。

女子は「読んでみます」と言ったが「舟を編む」だの「永遠のゼロ」だの「クローズド・ノート」だの「この前、直木賞を取ったなんちゃら」だのどれも取るに足らない作品ばかりであった。 

初老は自分の携帯の番号を彼女に教え、彼女は「今度、湯布院に行くことがあったら連絡します」と言った。 

私の友人はクラブや女性のいる店に頻繁に出入りすることによって、女性の連絡先をちょくちょくゲットしているが、私はここ最近、女性の連絡先を聞くどころか、自分の連絡先さえ教えていない。

あんな小汚いじいさんでさえ、あそこまでやっているのに。

実に笑うに笑えない話である。