思えば1995年の夏、野球少年だった私を尻目に、父親は野茂英雄に怒っていた。

いや、父親だけではなく、友人の親も、少年野球チームの監督コーチ達も、野茂に怒っていた。

いまでこそあらゆるまとめサイトで、才能を搾取されそうになる経緯や、メジャー挑戦へ至る戦略的交渉の詳細が明らかとなっており、それに憧れを抱く人間も多いだろう。


だがあの当時、情報取得の術が限られていたこの国では、連日マスコミによる批判、他球団監督コーチ選手の同調、そしてナチュラルにヒールとして捉えられやすかった野茂のキャラクターから、誰もが野茂を「勘違いした金の亡者」と思い込んでいた。

「メジャー挑戦は人生最大のマスターベーション」

自身の球団の監督からこの上ない屈辱的な言葉を浴びせられただけでなく、国民全体からあがる批判。

最も信頼する代理人だけでなく、自分の両親からも「私達は間違っているのかもしれない」と言われてしまった野茂は、それでもブレなかった。

「僕達は正しいことをしているので大丈夫です」


そして1995年5月。ついにメジャーリーグのマウンドに立った野茂英雄は、その腕と信念で、不可能とされていたありとあらゆる扉を、次から次へとこじ開けていく。


「サンシン!!」


メジャーリーグ実況アナウンサーが発する日本語は旋風となり、かつて批判をしていた人達も含め、日本人の誰もが野茂の起こす竜巻に飲み込まれていった。


有識者のみならず誰かも言う。


野茂英雄なくして、現在無し。



何かを成し遂げる人間は孤独である。


だが、孤独であり孤高だ。


辻仁成に傾倒し、そこで得た縁に満足する私に孤独は無い。


しかし、それのどこかに私の孤高の信念はあっただろうか。


私の仲間とされる人達は皆、同じ顔、同じ表情をしている。

いったいなぜ彼らと友人になったのだったか。



私は、何かを成し遂げることができるのだろうか。