Getting Over It with Bennett Foddyというゲームがある。

ツボにはまった男が手に持つハンマーを引っかけながら山を登っていくだけの単純なゲーム。 

なぜ彼が壺にはまっているのか、なぜ彼がハンマーを振り回しているのかは一切わからない。

このゲームは非常に難易度が高く、また途中セーブや救済措置は存在しない。

とにかくハンマーを引っかけ、山を登る。

途中で失敗すれば、落ちた場所からもう一度、同じ道をハンマーを引っかけて登っていく。


私はこのゲームをプレイしたとき、猛烈な苛々に覆われてしまった。


良いところまでいっては落ち、良いところまでいっては落ち、またやり直す。

先程たどり着いた場所にもう一度戻ろうとするも、その途中でまた落ち、やり直す。


ナレーターが落ちた私に呼びかける。

「また最初からですね」
「スタート地点に戻りましょう」
「半分まできました」
「たいしたものです」
「あなた自身が成長するしかありません」

呼びかけられるたびに、たとえそれがどれだけ私を励ます言葉であっても苛々する。

音楽は変わる。あるいは変えてくれる。

それでも景色は変わらない。

何度も見た光景に何度も挑む。



まるで人生そのものじゃないか。



私はこのゲームをクリアできず、途中で諦めてしまった。


超高齢社会に日本は突入しつつある。


65までとされる定年退職は70まで引上げ濃厚だ。


社会人になるとき、私は懲役40年の覚悟だった。


それはあまりに長く、辛い道のりだ。


けれどもなんと懲役は48年に引き上げられるという。



勘弁してください…


今日は日曜日だ。

「ああ。あっという間に休み終わるな。二日間は足りなすぎるでしょ」

こういうことを後何年続けねばならないというのだろうか。


手元にあるハンマーは、いったいなんのためにあるのか。


山を登るためか。

それとも目の前の現実を壊し、逃げるためか。


どっちにせよ、絶望だ。