先月から中田ちゃんというとんでもない美女が隣の部署に異動してきた。


周囲の視線を奪う彼女は、一瞬にしておじさんお兄さん達の注目の的となった。

もちろん、私も例外ではない。

彼女とたまたま会話をすることがあったが、それはとても幸せな時間だった。

とにかく美人。

いるだけで会社が華やかになる。とても素晴らしいことだ。

何より私はついこの間まで毎日仕事辞めたいを18回くらい1日で唱えていたのに、中田ちゃんがきてからはそれが10回くらいに減った。

美人は凄い。


風の噂では中田ちゃんは彼氏はいないという。


そんなわけないないとは思う。
だが一方的でわずかであるにせよ、可能性が存在するということはこれもこれで素晴らしいことだ。







夫のコロナ陽性に伴い一週間の自宅待機を強いられていた木下が復帰した。

『松岡さんのススメてくれたアニメ、10本中2本観たんですけどめっちゃBLだったんですけど』


自宅待機中暇なのでネトフリのアニメのおススメを10本教えてという木下の要望に応え、私は至極のマイセレクトを彼女に送った。

ミステリーにコメディ、スポーツにSFと多岐に渡り10作を厳選したわけだが、あろうことか木下が選んだそのうちの2作はユーリオンアイスとバナナフィッシュだった。


観たことのある人にはわかるだろうが、たしかにその要素は含まれている。


逆に言えば、私が選んだ10作のうち8作にはその要素がない。

あろうことか木下は、BL要素があるわずか2作を見事に連続で引き当てたのだ。


『同僚からBLすすめられるとか…結構ジワるんですけど。マジどういう状況?』

「たまたまだから。ちゃんと名作ですから」


恐らく彼女は残りの8作も観ないだろう。あるいは警戒するだろう。BLとして。


『なんかやたらウォーターサーバーの減りが早いんですよね。私の自宅待機中なんかありました?』

「いや、特に変わりはないと思いますが」


先日から女性社員達の要望により、オフィス内にウォーターサーバーが設置された。

その水の管理を木下は担当しているのだが、彼女曰く水が減るのが異常に早いという。


『絶対誰かが水を水筒かなんかにいれて持って帰ってるんですよ』

「えー…オフィスのウォーターサーバーでそんなみっともないことする奴います?」

『豊福さんとか』

豊福は風呂に入らず、毎日作業着で出勤し、作業着のまま寝る不潔な男だ。

「いやでも彼、コーラばっか飲んでますよ?コーラばっか飲んでる奴が水持ち帰ります?」

『でも豊福さんくらいしかそんなことしそうな人いなくないですか?』

アニメの見過ぎで悪口のタガが外れたのか。
木下は一方的に豊福を陰で責めた。

『しばらく豊福さんの動きわ見張りますよ私。松岡さんも動きがあったら追ってください』


やれやれ…忙しいんだよこれでも俺は…


しかし断れるわけもなく、私はしぶしぶ水泥棒の検挙に協力することになった。


『いいですか?犯人をみつけたらそいつにこう言ってください。それは横領ですよ!って』


鼻息の荒い木下を軽く流し、私は仕事を続けた。






翌日出先から直帰しようとした際、翌日朝イチの打合せ資料を会社に忘れたことに気がついた私は、慌てて電車を乗り換え、会社に戻ることにした。

時刻はすでに22時をまわっており、社内には誰もいないだろうことは明らかだった。

あまりにも億劫ではあったが仕方ない。


そして会社に戻ると、まだ室内の電気がついていた。

うわー。嫌いな人が残ってたら嫌だなあ。気まずいなあ。

そう考えた私は、誰にも気づかれないようにそっと、共用部より室内を覗き込んだ。


そこでは1人の社員が、ペットボトルを数本抱え、ウォーターサーバーの水をそれにうつしている光景があった。



中田ちゃんだった。



え?マジ?


なんと毎日ウォーターサーバーの水を自宅に持ち帰っていたのは中田ちゃんだった。


嘘でしょ…


中田ちゃんは慣れた手つきで満杯になったペットボトルと空のペットボトルを交換し、またウォーターサーバーの水をそれに補充しはじめていた。



何してんねん…



私はその場で大きく足音をたて、誰かが室内に戻ってくるという状況を演出し、彼女の水泥棒をやめさせることにした。

すぐに中田ちゃんはペットボトルを回収し、自分のデスクに戻り、その後は何事もなかったかのようにPCに向き合っていた。

「お疲れ様です」

『お疲れ様です』

何食わぬ顔で私は彼女と挨拶を交わし、すぐに資料を回収し、会社を出ることにした。


本人を直接水泥棒の犯人として告発し、それはいけないことだと伝える度胸が私にはなかった。

もちろん木下にこのことを報告するのも怖くてやめた。女同士揉める可能性があるから。



私は今日も木下の指示で豊福がウォーターサーバーの水を盗もうとしていないかを監視している。


あいにく、豊福がウォーターサーバーの水に手をつけようとする素振りはない。

そりゃそうだ。犯人違うんだから。


中田ちゃんは今日も何ひとつ変わることなく、社内のアイドルとして存在価値を高めている。


何も変わらない日常が過ぎていく。


ただ唯一、変わったものがある。

それは私から中田ちゃんへ向けられる感情だ。


…ペットボトルにウォーターサーバーの水詰めかえて持って帰る女は嫌だなあ。
マジでやめようよ。

どんな理由があるにせよ…みっともないって。


きっとホテルに泊まったら備品全部持って帰るタイプだ。みっともない…いやだなあ。


私はとりあえず、中田ちゃんの件は無かったことにして、引き続き豊福を監視し、まったくの無実の罪で彼を捕まえる所存だ。