事実は小説よりも奇なりと言うべきか。

はたまた誰にでもありえる非常識な話なのか。


町民の血税たる4630万円が、24歳の青年により、泡と消えた。


担当弁護士による異例の顏出しNG会見で明かされたその内容はあまりにもセンセーショナルであった。
決して有名とはいえない小さな町のわずかなミスが世間を震撼させたのだ。



還付金を1世帯あたり10万円配布。

それをどう誤ったのか総世帯数463世帯分の10万円が4630万円となり、何も知らない青年の銀行口座に振り込まれた。


便宜的に当該地域を"その町"と呼ぶ。


その町の定住者募集政策により、その町で生活を初めた24歳の青年は、その町の役人の来訪を受け、そこで"謝罪"をされたことで初めて、自身の銀行口座に4630万円もの大金が振り込まれていたことを知る。


現実味の無い話だ。


返金をしてほしいという要望を受けても、この段階で青年は自身におきていることに現実味を感じていなかったのだろう。

要望を了承した青年は、役人とともに返金のため、銀行窓口へと赴く。


そこでついに、自身の手元に、生涯年収にも近いような大金があることを自覚したのだろう。


報道ではこの瞬間、青年の態度が豹変したとされている。


彼のこの時の感情はどのようなものだったか。


勝手な想像ではあるが、天啓を得たような、運命を感じるような、とにかく決断を強いられるような何かを感じたはずだ。

24歳。独身。募集政策で住むことになった町。住むや否や早々に発生した非現実的なミス。4630万円という大金。


何かを変えたかったのかもしれない。だから移住したのかもしれない。いまやっている仕事は、決してやりたいものではなかったのかもしれない。



「金の魔力にやられた」と世間は言うが、そんなものではないのではないか。


彼にとって、まさにこの時、この場所こそが、人生の分岐点であったのだ。


十字路に立ち、彼は決断をする。


「返金はしません」


彼はこの瞬間、自分の運命をこのイレギュラーな大金に賭けた。







佐藤正午の名作、身の上話が私は好きだ。


なんとなく流されながら八方塞がりになった主人公が、同僚に頼まれながら自身も何口かあわせて購入した宝くじのうちの一枚が高額当選し、とんでもない大金を獲得したことで色々な悲劇に巻き込まれる話だ。


あの主人公は、追い込まれた状況で得た天啓に従い、同僚や恋人、愛人や友人を裏切る賭けに出た。

その勝敗は読んだ人の判断によるものだとは思うが、紛らわしい表現だが事実は小説よりも奇なりを小説にしたような素晴らしい作品だった。



結局、24歳の彼は賭けに負けた。

文字通りその大金をギャンブルに使い、全てを溶かしたのだ。


なぜギャンブルを行ったのかは定かではない。


これも想像に過ぎないが、もしかしたら彼は4630万円を返すつもりは残っており、あくまでそれを元手にお金を増やし、その差額を得ようとしたのではないか。


元が大きければ大きいほど、当然ながら逆転の機会は増える。


だが彼は負けたのだ。


ここからは敗れた彼の、制裁の日々が始まる。

敗者の人生だ。




私は彼を肯定しない。


もしかしたらこのミスと彼の身勝手な返金拒否により、彼同様あるいはそれ以上に人生を狂わされることになった"被害者"がいるかもしれない。


そうである以上、彼は非常識なクソ野郎だ。
しっかりと裁かれるべき人間だ。


この先、あらゆる制裁の場に引きずり出され、このご時勢故個人情報も大いに出回り、まともな生活を送るのが困難になるかもしれない。

それが賭けに出たものの責任であり宿命だ。



だが、それを大前提とした上でも。


自分が同じようなことに遭遇した場合、どのような決断をするだろうか。


大金を得たときどうするか、ではない。


人生を変えるチャンスが、運命が目の前に突然現れたときにどうするか、だ。


もしかしたら、私は飛びついてしまうかもしれない。

そしてわかっている。

そんなことで得る人生が、まともなものにはならないことを。



どうかベストな形での、事態の終息を願う。