入社以来お世話になってきた浅井さん50歳が体調不良で4月末より半年の休養に入るにあたり、短い期間の別れとはいえ私は一抹の寂しさを感じていた。
「この仕事は精神を病む仕事です。僕はちょっとリタイアします。皆さん。また会える日までどうか生きていて下さい」
冗談交じりに放たれた別れの挨拶に、それまで暗かった社内は笑いに包まれた。
「浅井さんが戻る頃にはもうどうせ誰もいないよ」
自らこの送別終礼の幹事を名乗り出た佐渡45歳は、とにかく自分が一番目立とうとしていて、私はそれを鬱陶しく感じた。
その翌週のことだ。
PCで各員の予定を確認すると、【浅井 5/9~ 半年休職】の文字の横に【佐渡 病院】
という謎の文字が躍っていた。
それがさらに翌日になると【佐渡 5/10~ 半年休職】に変化していたので、私は思わずはぁ?と声を上げた。
勤務過多の疲労が抜けきれず、佐渡は病院へ行ったところ、鬱病と診察されたそうだ。
佐渡は佐渡で良い人ではあった。
このオッサンはトークが面白く、また面倒見も良かった。
私のような若手をみなランチに誘い、時には飲みに誘った。
彼曰く、自分はサヴァンで暗記力がすごく、所謂アスリートの‟ゾーン“を自在に操れるらしく、高校時代はヤンキーと、社会人になってからは半グレと拳を交え、勝ち続けたと吹聴することが多かった。
あまりにも馬鹿らしい武勇伝であったが、軽快なテンポで語られるそれは、聴いている側は決して不快ではなかった。
反面、仕事に関しては私は彼のことが好きではなかった。
昨年の部署異動にあたり、私は彼に担当案件をいくつか引継ぐことになったのだが、それは一向にすすまなかった。
自身は入社20年のベテランであり、それなりの役職も経験していたとのことで、当然若手の私に対しては教育してやろうくらいの感覚だったのだろう。
引継を続けるうちに、彼は自身の仕事に関するプロフェッショナルとしての美学を捏ね、能書きをたれ続け、私のやり方を否定した。
「でも佐渡さん。そのやり方じゃ到底こんな案件数まわせませんよ。まずはまわすこと考えてください。この課はそういう課なんですよ」
と私が反論すると、彼は「そんなのプロじゃない。何より正しくない。ちゃんと引き継いでくれ」と切り捨てた。
何より彼はとにかく自分で調べたりメモをとることをしなかった。
資料をみればすぐにわかることもいちいち部署の違う私に直接聞きにきたし、
「俺、引継ぎきれてないのはやらないから」と彼が業務を放棄したせいで客のクレームが私に入ることも少なくなかった。
「佐渡さん、僕は部署が違うんですよ。引継ぎできてない=佐渡さんの責任になるんじゃないですか?」
「俺はそうは思わない。完璧さを求めた上でリスクが軽減されるわけだから」
もう質問と答えがチグハグだ。
「とにかくちゃんと引き継いでくれないと。頼むよ」
こう言って佐渡は聞かなかったため、私は業務時間の多くを佐渡に割くことになった。
その後も佐渡は私が別の人間と打合せをしている最中に「ちょっと先にこっち教えて」と割り込んでくるし、「俺よくわからないから」と土日もガンガン電話をかけてきた。
あまりにもそれはウンザリするものだった。
しかし。
半年もそれが続いたことにより私はすっかり慣れてしまった。
慣れれば慣れる程、佐渡との関係は改善されていき、元来の面白い佐渡を私はそれなりに好きになっていった。
佐渡と二人で食事にいく機会もかなり増えていた。
その佐渡が、突然鬱病にかかり、休職する。
彼は当支店の支店長に「休職期間中は一切連絡してこないでください。医師に禁じられていますので。電話がきたら訴えます」と告げ、
「ちょっともう限界だから俺、しばらく休むわ」と私にメールをいれてきた。
ああ。佐渡さん。かわいそうに。
酷使されてしまったのだろう。ゆっくり休んでください。
とは思わなかった。
いや、思うわけがない。
はあああ?
何鬱病にかかってんの?なんも仕事してねえだろお前。何が業務過多だよ。残業時間で倉庫で寝てるだろお前。
毎日毎日タバコ休憩で合計3時間近く使いやがって。
何?休職中は電話かけてくるな?
お前は土日に自分の都合でガンガン電話かけてくるくせにふざけるなよ。
俺は最初に言ったんだ。そんなんじゃまわせませんよ。って。
それをそのやり方は違うって言って勝手に深堀完璧狙って何もできなくて結局リタイアかよ。
お前は引継がれてない案件はやらないって言ったな?
なら何も引継ぎせずに連絡拒否したお前の給料全額返金しろ。ふざけんなよ。
何が鬱病だよ。そりゃ本物の鬱病は大変だよ。
でもお前に関しちゃ顔洗って走って会社来い!!!
ってか休職するくせに休職する別の人間の送別の幹事やってんじゃねえよ。だせえなあ。
昨日の友は今日の敵。
さらば佐渡。
いま私は言葉にできないくらいお前にムカついている。
「浅井さんが戻る頃にはもうどうせ誰もいないよ」
こう送別会で宣ったあなたに、私はこの言葉を捧げる。
「お前の席、もう無いから」
「この仕事は精神を病む仕事です。僕はちょっとリタイアします。皆さん。また会える日までどうか生きていて下さい」
冗談交じりに放たれた別れの挨拶に、それまで暗かった社内は笑いに包まれた。
「浅井さんが戻る頃にはもうどうせ誰もいないよ」
自らこの送別終礼の幹事を名乗り出た佐渡45歳は、とにかく自分が一番目立とうとしていて、私はそれを鬱陶しく感じた。
その翌週のことだ。
PCで各員の予定を確認すると、【浅井 5/9~ 半年休職】の文字の横に【佐渡 病院】
という謎の文字が躍っていた。
それがさらに翌日になると【佐渡 5/10~ 半年休職】に変化していたので、私は思わずはぁ?と声を上げた。
勤務過多の疲労が抜けきれず、佐渡は病院へ行ったところ、鬱病と診察されたそうだ。
佐渡は佐渡で良い人ではあった。
このオッサンはトークが面白く、また面倒見も良かった。
私のような若手をみなランチに誘い、時には飲みに誘った。
彼曰く、自分はサヴァンで暗記力がすごく、所謂アスリートの‟ゾーン“を自在に操れるらしく、高校時代はヤンキーと、社会人になってからは半グレと拳を交え、勝ち続けたと吹聴することが多かった。
あまりにも馬鹿らしい武勇伝であったが、軽快なテンポで語られるそれは、聴いている側は決して不快ではなかった。
反面、仕事に関しては私は彼のことが好きではなかった。
昨年の部署異動にあたり、私は彼に担当案件をいくつか引継ぐことになったのだが、それは一向にすすまなかった。
自身は入社20年のベテランであり、それなりの役職も経験していたとのことで、当然若手の私に対しては教育してやろうくらいの感覚だったのだろう。
引継を続けるうちに、彼は自身の仕事に関するプロフェッショナルとしての美学を捏ね、能書きをたれ続け、私のやり方を否定した。
「でも佐渡さん。そのやり方じゃ到底こんな案件数まわせませんよ。まずはまわすこと考えてください。この課はそういう課なんですよ」
と私が反論すると、彼は「そんなのプロじゃない。何より正しくない。ちゃんと引き継いでくれ」と切り捨てた。
何より彼はとにかく自分で調べたりメモをとることをしなかった。
資料をみればすぐにわかることもいちいち部署の違う私に直接聞きにきたし、
「俺、引継ぎきれてないのはやらないから」と彼が業務を放棄したせいで客のクレームが私に入ることも少なくなかった。
「佐渡さん、僕は部署が違うんですよ。引継ぎできてない=佐渡さんの責任になるんじゃないですか?」
「俺はそうは思わない。完璧さを求めた上でリスクが軽減されるわけだから」
もう質問と答えがチグハグだ。
「とにかくちゃんと引き継いでくれないと。頼むよ」
こう言って佐渡は聞かなかったため、私は業務時間の多くを佐渡に割くことになった。
その後も佐渡は私が別の人間と打合せをしている最中に「ちょっと先にこっち教えて」と割り込んでくるし、「俺よくわからないから」と土日もガンガン電話をかけてきた。
あまりにもそれはウンザリするものだった。
しかし。
半年もそれが続いたことにより私はすっかり慣れてしまった。
慣れれば慣れる程、佐渡との関係は改善されていき、元来の面白い佐渡を私はそれなりに好きになっていった。
佐渡と二人で食事にいく機会もかなり増えていた。
その佐渡が、突然鬱病にかかり、休職する。
彼は当支店の支店長に「休職期間中は一切連絡してこないでください。医師に禁じられていますので。電話がきたら訴えます」と告げ、
「ちょっともう限界だから俺、しばらく休むわ」と私にメールをいれてきた。
ああ。佐渡さん。かわいそうに。
酷使されてしまったのだろう。ゆっくり休んでください。
とは思わなかった。
いや、思うわけがない。
はあああ?
何鬱病にかかってんの?なんも仕事してねえだろお前。何が業務過多だよ。残業時間で倉庫で寝てるだろお前。
毎日毎日タバコ休憩で合計3時間近く使いやがって。
何?休職中は電話かけてくるな?
お前は土日に自分の都合でガンガン電話かけてくるくせにふざけるなよ。
俺は最初に言ったんだ。そんなんじゃまわせませんよ。って。
それをそのやり方は違うって言って勝手に深堀完璧狙って何もできなくて結局リタイアかよ。
お前は引継がれてない案件はやらないって言ったな?
なら何も引継ぎせずに連絡拒否したお前の給料全額返金しろ。ふざけんなよ。
何が鬱病だよ。そりゃ本物の鬱病は大変だよ。
でもお前に関しちゃ顔洗って走って会社来い!!!
ってか休職するくせに休職する別の人間の送別の幹事やってんじゃねえよ。だせえなあ。
昨日の友は今日の敵。
さらば佐渡。
いま私は言葉にできないくらいお前にムカついている。
「浅井さんが戻る頃にはもうどうせ誰もいないよ」
こう送別会で宣ったあなたに、私はこの言葉を捧げる。
「お前の席、もう無いから」