感情が溢れてしまうので詳しくは書かないが、

クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園が最高に素晴らしかった。

小さい頃よりクレヨンしんちゃんに馴染んできたし、映画館で作品を目にすることは何度もあったわけだが、今作は劇場版クレヨンしんちゃん史上最高傑作なのではなかろうか。

とにかく誰しもに観てほしい作品なのでネタバレは避ける。


しかしほんのちょっとだけ言及させていただくと、終盤に登場キャラクターたちが「青春とは?」という問いかけに対して各々の答えを簡潔な言葉で述べていくシーンがある。
(このシーンも本当に素晴らしいので是非観ていただきたい)

私も青春について考える。

Wikipediaで青春を調べみると、「青春(せいしゅん)は、季節の「春」を示す言葉である。転じて、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉として用いられる」とある。


その辺を踏まえて、あらためて自分の人生を振り返り、その上で私は私に今回の投稿を通して、自分自身に問いかけたいと思う。


「青春とは?」







中高男子校一貫であり、女性と関わることが高校3年生まではほとんど無かった私にとって、青春という言葉を意識したのは遅かったのではないか。

部活動も行わず、ひたすら帰宅部として学校が終わり次第即家に帰り、どれだけの速さでフジテレビの夕方のドラマ再放送を観れるかを競っていた私は青春に毛ほども関わるつもりがなかったのだろう。


高校2年生の大晦日の夜、あまりにもやることがなさすぎて当時同じ学校で最も仲の良かった友人と、互いに自転車に乗り街を徘徊した。


新年を迎え、そのうち夜が明け出したときには私と友人は、平井大橋の強烈な坂道を立ち漕ぎで昇っていた。

ふと左手をみると川の遥か向こう側から、眩い太陽が昇っていくのが見えた。初日の出だった。

それが水面を離れ、宙に浮いた時、私と友人は向かい風を自転車の上で正面から受けた。

そして友人が大きな声で言ったのだ。


「うわー!めっちゃ青春だわー!」


あー。そうか。これが青春なのか。

この時こそが初めて青春というものを意識した瞬間であった。

だが正直どうでもよかった。

何かを成し遂げたわけでもなければ、一緒に意味なく日々を過ごす女の子がいるわけでもない。


なんとなく、なシチュエーションが青春を達成させたんだなあと心の中で感じ、通過儀礼として受け止めた。



以後、私は数十年の不毛に沈む。



それなりに充実した学生生活を過ごし、それなりに就職し、それなりに女遊びをし、それなりに喜び、それなりに憤り、それなりに傷つき、それなりに誰かを傷つけた。


楽しかったとは思う。だがそれだけだ。



そんな日々が続くうちに30歳を超えたある日、小学生の頃からの友人に再会した。


「やりたいことがあるから聞いてくれ!」


そう語る彼を見守るのではなく、耳を貸したことが、私の転機だったのかもしれない。







彼は私を大いに苛立たせた。

彼が私や、私の別な友人に対し描いてみせたその"やりたいこと"は、あまりにも馬鹿げていた。

にも関わらず、彼は私達を無知と勝手に決めつけるように、ネットサーフィンをすれば10秒で出てくるような、愚かを超えて空疎な知識を引け散らかし、偉そうに私達にビジネス講釈を垂れ流しきった後、「使われるより使うほうが向いているから社長になりたい」と言った。30を過ぎた男がだ。

彼は海賊王を目指しカリスマ性を誇示しようとしたのかもしれないが、私の目にはマルチ商法に引っかかるオッサンでしかなかった。

その上、約束も守らなければ、自分の言った事を何ひとつやらずに、それを指摘すると言い訳に終始する。

もはや彼は小学校からの友人ではなく、ただの不愉快な人間関係でしかなくなり、私の彼への罵倒は表裏問わず熾烈を極めた。


数ヶ月後、彼は私に「料理が好きだからプロの料理人になるから居酒屋でバイトする」と言った。
「起業家の店長に気に入られ、経営のノウハウも教えてもらえるからそこで修行する。3年後には起業させてもらえる約束もした」と。

「経営のノウハウってなんだよ」

そう言うと彼はいつものように閉口した。

私は思い切り感情的に「バカかお前は!」と怒鳴って「初対面で簡単に起業させてあげるなんて言う奴は詐欺師に決まってるだろうが!!」と続けた。


すると彼は言ったのだ。


「俺をバカにするのは良い。でも西野さん(詐欺師)をバカにするのはふざけるな!!人の一生懸命をバカにするな!!!」


この時点で決別は決定的だった。


だが私はそれ以上に、深い憤りを感じた。

それは彼が私に「一生懸命をバカにするな!」とキレたことに対してだ。



これまで私は自分の中では、自分の経験や知識を踏まえて彼に真正面からぶつかり、それはおかしいだろ!と真っ向から殴り合う覚悟で彼に怒りをぶつけてきた。

説明もした。なぜそれがおかしいと思うかについて。なぜこちらが怒るのかについて。なぜこちらが呆れるのかについて。

けれども彼からすればそれは全て、「何も知らない癖に他人の一生懸命を外野からバカにするモブ」でしかなかったのだ。

彼は彼で私を何も理解していないクレーマーとして見下していたのだろう。


私は頭が真っ白になるのを感じながら、大声で叫んだ。

「俺は他人の一生懸命をバカにしてなんかいない!!一生懸命じゃないくせに一生懸命だと言うお前のバカさ加減をバカにしてるんだ!」


そう言い終えると同時に、私自身も思わず考えこんでしまった。


私はいままで、一生懸命に何かに打ち込んだことがあっただろうか。と。


誰かに導かれるまま、やれと言われたことに全力を出したことはたしかにある。


でも自分の意思で、自分のやりたいことに、全力を出したことはあっただろうか。


この疑問こそが、コイツに、いや、コイツのみならずクソみたいな連中に付け入られ、見下されてきた要因なのではないか。


そして世界が黒色に染まった。


悔しい。

こんなことで。

こんなことで俺は薄く人間性を引き伸ばされ、底辺の魑魅魍魎と化していたのか。

同類ではないか。コイツと。

何も勝負もせず、安全地帯から物を言い、たまに出くわす甘言にまんまと乗るような人生。あるいはそれすらない、無味無臭。同類だ。溢れている。同類同士で嫌いあっている。


ならば私は、その真横にいる魑魅魍魎共を、一匹一匹、殴る。







それから私は戦っている。


自分の分野で、あるいは自分の分野ではない未知の分野で、戦っている。


挑戦しているのではない。

勝負をしている。


やれて凄いね、参加して凄いねは誰だってできる。

勝って嬉しい、負けて悔しい。その感情に至ることこそが全力であり、意味があるように思う。


今日も誰かが私に、「人生は勝ち負けじゃないよ」と言う。


うるせーバーカ。


それは勝負し続けた人が言って初めて成立する言葉だよバーカ。


自分が決めた戦うべき場所で、勝負をする。


理屈なんかいらない。

感情論で充分だ。


しんどくはある。時には絶望もする。


ただ、私の人生、勝負をしている時こそ輝きを感じ、若さを感じ、春を感じる。


まさに、今だ。


「青春とは?」


「"勝負"だ」