11年前、東日本を襲った未曾有の大震災の日。

私は翌週月曜日から始まる就職先の内定者研修のことを考え、深く落ち込んでいた。

 

ついに仕事が始まってしまう憂鬱はもちろんのこと、4月1日からスタートすればよいものをなぜかオリエンテーションも含め3月14日から研修が始まるという事実、その研修のスケジュールに1週間の自衛隊練馬駐屯地での合宿研修が入っていた点、さらにこの14日から31日までは一切給料は発生しないという部分が拍車に拍車をかけることとなった。

 

私の新卒時は就職氷河期であった。そのため内定が決まった会社が蓋をあけてみれば思いもしないようなことを仕掛けてこようが、あの当時の私には閉口する以外の道がなかったように思える。

 

そして大震災発生。

 

大混乱の中、その災害の規模を認識するや、「あれ?これ内定者研修無理じゃね?」という一抹の光明のようなものが見えた気がする。

 

しかしその数時間後に就職先人事部係長から送られてきたメールは非情なものであった。

 

【予定通り、通常出社すること】

 

 

迎えた14日、早朝に起床し、余裕を以て準備を終えた私であったが、最寄り駅に行くと交通機関はまともに機能できておらず、

同様に出社を強いられたサラリーマン達の混乱で駅場内への入場すらできなかった。

 

【出社できません。交通がストップしています】

 

そう連絡した私への上記の係長からの返信は

 

【歩いてでもきてください】

 

だった。

 

 

そして私はありとあらゆる交通機関を使い、定時よりも3時間半遅れで出社することとなった。

 

開口一番、初対面の係長は遅刻した私に「いつまでも学生気分でいるな。交通機関の混乱は想定できたはず。私達は前日から出社していた」

と強く叱った。

 

他の新入社員たちへも同様の仕打ちだった。

 

ある一人がそれに反論し、「給料も出してもらえないのに自腹で前泊っておかしくないですか」と今でこそ至極真っ当な反論をしたものの、

係長の上席にあたる部長がそれを耳にするや否や「口答えしてんじゃねえ!」と彼の顔を叩いた。

 

私は心底怯えていた。

 

なんてこわいんだ社会は、と思っていた。

 

 

部長は委縮する我々に対し振りむくと「お前らは根性が足りない。明日からの自衛隊合宿、覚悟しておけ」と言った。

 

 

この日の午後、練馬駐屯地より「支援等の都合上、研修合宿はキャンセルしたい」との連絡が会社に入った。

 

その後人事部と自衛隊で電話口で揉める声が社内に響いたが、無事に自衛隊合宿はキャンセルとなった。

 

 

翌日から私達は会社横の駐車場で自衛隊式行進の練習、声出しを丸一日やらされ、残業時間で5キロのマラソンを強いられた。

 

国歌を朝から何度も駐車場で大声で斉唱させられ、雨の中で反復横跳びを3分間耐久で何度もやらされた。

 

翌週には12人いた同期は5人に減っており、文科系出身者は私だけになっていた。

 

自称大学時代プロ野球からスカウトがきたがそれを蹴ってこの会社に入社した同期が私に言う。

 

「辞める奴が悪い。これくらいのシゴキ耐えられないでどうするんだ」と。

 

イラッとした私は彼の頭を叩いた。「まず漢字読めるようになってから言えよ」とバカにしながら今度は彼の顔を叩いた。

 

大喧嘩して会社を辞めてやろうと思った。一人でも道連れに死んでやろうと思った。

 

 

だが彼は「ごめん。ごめんって!」とオドオドしながら謝り、ケンカを止めようとした係長にも「ちょっとふざけてただけです」と親指をたてておどけた。

 

 

私は心底呆れ、もう好きなようにしてくれとこの頭のおかしい会社に身を投げた。

 

 

結果ここから7年間私は月75時間の残業をし、その残業代を一切支払われず、月15万円近くを客先への接待費へと投じ、その費用は一切会社から返済されず、退職時には40日あった有休が勝手に30日にされるという超絶ブラックの被害に遭うことになる。

 

 

思えばあの11年前、この不毛な人生を切り替えるポイントがあったのではないか。

 

 

いまでもあの日の光景がテレビで流れる度に、無力なりに何か手伝えることがあった筈だと後悔する。

 

自分がこの先食べて生きていくことだけを優先した結果が、ブラック企業による搾取だ。

 

 

 

6年前、被災地を走っていた三陸鉄道に乗った。

 

各駅で掲示される被災当時の光景のパネル、途切れた線路を目にする度に、思わず涙が出た。

 

 

 

何をやっているんだ俺は。

 

 

 

出来ることすらわからない。

 

それはいまも変わらない。

 

ただ、犠牲になった方々を想い、私は本年も祈りを捧げる。

 

あの日を忘れない。




という投稿を先月あげようとしていたのだが、それ自体をすっかり忘れてしまったのでした。