ケン・グリムウッド『ディープ・ブルー』読了。
人間とイルカの間に絆が結ばれ、『ひとつ』となる物語。
読み終わってちょとばかり考える。

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もし異種間コミュニケィションが此の本に描かれて居るレベルで実現したとしたら、その先には此処に描かれた理想郷ではなく『苦悩を伴う矛盾』が待って居る気がする。
何故なら、人間もイルカも他の生命を貰わないと生きて行けないから。

イルカと、牛や豚や鶏の違いは?
賢いから?意思の疎通が出来るから?
だから片方は『仲間』で他方は『餌』なの?
人間以外の種と対等なパートナーシップを組んだトキ、つまり『人間ではないから喰っても可』では済ませられなくなったトキ、餌と仲間を分かつラインとしてそれは充分なの?

判らない。
ただ確かなのは『賢さ』も『意思の疎通の可否』も人間側の恣意的な尺度でしかない、てコト。
人間とは別の方向の知性もあるだろうし、人間には知覚不可能なコミュニケィションだってあるんだよ。てコト。
モチロン生命は基本的にエゴで構わないのだけれど、だから『人間の基準』で判断して構わないのだけれど、でもそれは僕たちの一方的なモノサシなんだ。僕らはエゴで餌と仲間を分けるんだ。
て云い切る自覚と覚悟は必要だと思う。
じゃないと『種が違うから』て云うラインを失った僕たちは他の生物を屠って食べられなくなって仕舞う。

コレは、この物語のラストは、だから此の話が『御伽噺』だからすっぱりハッピィで済むのだけれど、リアルで考えるととても危うい状態を孕んで居るのじゃあ、ないだろうか。

て思って仕舞うのは、この話の背景に『イルカは牛なんかと違って賢く優しく豊かな動物だから殺す奴は野蛮』て云う『現実に存在する』思想が透けて見えるからなんだ(そして、その偏った線引きを『絶対的な正義』として他者に押し付ける行為が僕はあまり好きではないから)。
仮にコレが完全な御伽噺だったなら、突っ込むのはヤボってモンだけどね。

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あ。
同じ作者の『リプレイ』は大昔読んだけどものすごい好きな話だったし、この話も面白かったよ。
クジラが太古からの記憶を貯えるデータバンクであり、イルカがそれを伝えるネットワークを形成して居る。て発想はとても気に入ったし。
その上での些末なモヤモヤだけどね。コレは。

以上でした。