自由に生きていくことは、現代の私たちに赦されていることです。

勿論、いくら自由だからと言って、法律を犯すことは、赦されませんね。

しかし、私達は意外と、日常的に当たり前と思っていることが、本当の自由からかけ離れていだと言う様なこともあるかもしれません。

主イエス・キリストは、言っておられるのですね。

主とともに生きていくことの中に、あなたにとっての本当の自由な生き方があると。

例えば、人間同士が生きていく社会の中で、私達は必ずと言っていいほど、他者に迷惑をかけたり、傷つけたりと言うことをしてしまうわけです。勿論、このことは一例であり、まぁ色々と犯すのです。

それは、大袈裟ではなく、罪なのです。

生きていれば、もれなく全てのものは、大なり、小なり、色々と罪を、犯し、抱えるのです。赦されない限り罪は無くならない。どんどん、どんどんと雪だるまのように罪が膨れ上がるのです。


ですから、そんなとき、すぐに傷つけた相手に謝れたら、まだいいのですが、どうしてもプライドが邪魔して、その機会を逸してしまったり、わたしも悪いけどあいても同じだなどと、理屈を捏ねたりすることは、事態を一層悪くし、いつまでも後を引くわけです。

すると、ずーと、なにか心に引っかかる嫌なものがいつまでもついてくるということ。

さて、そのようなことは、あなたにはありませんでしたか?

決してない人はないのでは?人間なら誰でも、あるのではないでしょうか?

しかし、今日のわたしたちはなんと幸いなのでしょうか?

主イエス・キリストは、そのような私達の抱える全ての罪をお赦しくださるために、ご自身十字架にかかってくださり、赦されるための救いの道を開いてくださっているのです。

いついかなる時にも、私達の抱えるすべての過ちを、主のみ前に持ち出して、悔い改めるなら、主は喜んで赦してくださるのです。

そして、全く新しく生まれさせてくださり、新たな一歩を!進めていくことが出来るのです。

そのことこそ、罪人の私達が本当に自由に、生かされていく人間とされていくのです。

神のお与えになる真の自由こそ、生かされる私達人間の神より受け取っていく、まことの自由に生きるということになるのです。

自分で自分の首を絞めるような、苦しい生き方ではなく、神がお与えくださる生きる道に、従っていこうではありませんか。

必ずその時、貴方は、真の自由に生きることになるでしょう。あなたのために、お祈りしています。


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