
人間はある時期から、自分の価値感を定め、その価値感に沿って行動したり、発言したりするようになる。
自分はこういう生き方がしたい❗
自分はこういう仕事がしたい❗
自分はこういう目標を達成する
これらは悪いことではない。
しかし、思い通りには行かないのも、また人間である。
目標が達成できない…
思い描いていた生き方ができない‥
思い通りの職業についていない自分がいる…
そして、自分を攻めたり、自己嫌悪に落ちてしまうのである。
しかし、神様からのラブレター、聖書bibleには「私たちを神の愛から引き離せるものは何一つありません」と書かれている。
つまり、神様と僕らの思いは全く違うのである。
僕らが欲しくてたまらないものは、神様にはどうでもよい場合が多々あるのかも知れない。
逆に僕らが「自分には才能もないし、お金もない・・・誇れるものはない。」と心で思う時、神様は僕らがそのありがたさに気づいていない、神様から与えられているもの、「一人の友人」、「一時の団らん
「一膳の食事」、など、ささやかな幸せに気づいて欲しいと思っている可能性がある。
聖書bibleに「知恵をはなしてはいけない」と書かれている。
「知恵」とは「恵み」を「知る」ことである。
そして、神様を知ることは「知恵のはじまり」だと言う。
愚かものは神はいないという。
カッコが悪くても、失敗しても、経済的、健康的、家庭環境に様々な問題があっても、必ず必要なものは与えられているのである。
時に「神も、仏も無い!!!なんで、こんな悲惨な現実があるのか?」ということは世の中に確かにある。
しかし、そんなときは神も悲しんで、誰よりもその人を助けたいのである。
なぜなら、究極の状態の時、人間は目に見えるものには頼れないから。
だから、人生の幸福の条件は、何をどれだけ持っているのか?ではない。
何をどのように感じ、どのように行動したり、話したりするかだと思う。
魂の解放者イエスキリストは「悲しむものは幸いである。」と僕にいう。
あなたは愛されています。
Godblessyou!