蛙は籐椅子に深く腰をかけて足を組み、手には琥珀色の液体の入ったグラスを持っている。その視線は私を見ているようでも、その手前の空間を見ているようでもあった。
「意識、精神、魂、魂魄、自己、主体、心、等々多様な呼び方が可能でしょう。」蛙は唐突に話始めた。蛙の声は間遠く、水中で話しているみたいにおぼろげだ。「ここでは、総称としてイスカと呼ぶ習わしです。まずもって呼び名がなければ、我々の間での意志疎通は大変困難なものですからね。色々なものに名前が必要です。そして、イスカには二つの素性があります。それらが合一であることから解放されるとき、二様のイスカは、それぞれの源に戻っていこうとするのです。」蛙はグラスの液体を一口飲み込んだ。「端的に言いますと、ここは死後の世界です。あなたの生が終わったあとです。もしかして、羽の生えた子どもたちに雲の上にある光り輝く世界に導かれるような光景を想像していましたか。蓮の花に囲まれた煌びやかな場所で聖人に出迎えられるとか。或いは、魑魅魍魎の跋扈する暗黒の地底世界、生前の因果に応じて賞罰や拷問が与えられるような世界でしょうか。または唯物論的思想に見られるような永遠不変の無を想像していたかもしれませんね。確かにそのような世界を否定することは私にはできません。なぜなら、私にもここより先のことは分かりませんから。しかし、この場所はあなたが生前想像していたようなものとは随分と違っているでしょう。でも、不思議なことにあなたが慣れ親しんだものに囲まれていることにお気づきですか。」蛙はグラスを掲げて部屋のなかを見渡すしぐさをした。部屋のなかには暖炉があって、くべられた薪の上で静かに炎が揺らめいていた。壁の上部に橙色に光る電球が取り付けられていた。壁際には本棚が置かれ、分厚い本や雑誌のようなものが隙間なく詰められていた。その横には食器棚があり、皿やティーカップがガラス扉の奥にしまわれている。私の足元にはえんじ色の絨毯があった。私は自分の手足も姿も自分でみることができなかった。私はただそこに空間に存在している何かだった。
「どうです。ここはあなたが慣れしたんだ世界と連続しています。案外想像以上に連続しているのかもしれません。ここは多くの人間が想像してきたような天国や地獄、冥界や黄泉、辺獄や煉獄、極楽浄土といった死後世界の表象や輪廻や解脱といったシステムとも少し異なった場所です。現世に住まう亡霊としてのあなたというわけでもありません。なぜなら、ここは、現世とは、一切が隔絶されたまったくの異界ですから。ここは元の世界から別の世界に移行するためのハブ空間です。だから、このハブ空間のあとに、あなたがどのような世界に行くかは私には分かりません。そこにはいわゆる人間が想像してきたような死後の世界が存在しているかもしれないし、永遠不変の無が広がっているだけなのかもしれません。ただ、一つ言えることは、ここではまだあなたはやるべきことがあるということです。そして、ここは唯一のあなたの死後世界なのです。」
私を司る概念が目の前に現れた。
「イスカはこれより二つの素性に別れて旅を続けます。しかし、その道のりは決して楽なものではありません。乗り越えてゆかなければならない困難は、ダンテが訪れる冥界よりもいっそう困難でありましょう。それは時に魑魅魍魎の跋扈する恐ろしい地獄となって現れるかもしれませんし、想像を絶する凄惨な拷問によって為されるかもしれません。或いは、何もないことだってありえます。無です。ただの永久の無。少なくとも、変化のある世界のほうがこの究極の無よりは救いがあるのかもしれません。
でもまだあなたはその段階ではありません。そうした行きつく先に辿り着く前にやらなければならないことがあるのです。何も恐れることはありません。苦難や試練であれ、それはいつか必ず乗り越えて行けるもの、、、乗り越えて行かなければならぬものですから。
まずはその合一によってあなたという姿を表象しています。それは八つの素性の固有性の相互作用によってもたらされたものです。だからそこに美醜というものはありません。しかし、その発達の仕方は外界との相互作用になります。結果としていまのあなたの姿形は、有限の因果の相互作用によって仕上がったのものであります。だから、ほら、そんななりをしておいでですが、なにもそのことで私を前にして引け目を感じる必要はないのです。だって、美醜の価値などというものは存在しないのですもの。でも、もし、いまあなたが私の美貌に嫉妬を感じていらっしゃるのであれば、それはかつてあなたが存在していた世界の名残です。でも、もはやそのような場所は、このネグラのどこにもありません。それを感じているということであれば、それは刻印を司るダーヤとそれを感知するビュー、ビューから得たものを創めるウク、とそういった魂らの役割によって、作られているのです。そうもはやあなたは、あなたたちです。あなたたちであなた。まあ、一つは全、全は一つなのだから、どうでもいいことです。固有の素性を総称して、ルーヒと呼ぶ習わしになっています。
そして、これから先、記憶、つまり過去には何も意味はありません。あなたは常に現在を存しなければいけないのです。もはや、過去の清算、やり直し、悔い改めなんということはできないのです。そうした過去は事実として、世界の際を司る壁に刻まれていますが、それは無常なものです。大海を構成する水であり、波みたいなものです。過去は未来に向かって改変していくのですから。
それでは、ルーヒよ。これより先の扉を潜り、それぞれの魂の試練の道へと進みなさい。悲しむ必要はありません。恐れる必要はありません。そこに意思が一つありさえすれば、その進みゆきに身を投じさえすれば、しかるべき場所へと導かれてゆくことでしょう。現在を存しなさい。
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唐突に眼が覚めた。随分と長く眠っていたようだ。閉ざされた窓の隙間から陽光が差し込んでいる。私はベッドの上に横たわっていた。とてつもなく長い間眠っていたのかもしれない。身体の感覚がまるでない。眼球だけ動かすことができた。一筋の光のなかで埃が漂っているのが分かった。塵たちは海底で音もなく泳ぐクラゲのようだった。そうした空中の埃の運動を眺めているうちに私は尿意を感じていることに気が付いた。
久しく感じていなかった尿意に私はどこか安堵した。腎臓や膀胱といった器官が機能しているのだ。
尿意というのはかなり信用できる感覚である。空気を胸いっぱい吸い込んで吐き出した。ちょっぴりかび臭い匂いがしたけれど、私の周囲を取り巻いているこの無色無臭の気体が肺のなかに充満し、それからすべて吐き出すと何とも言えない安堵感を覚えた。
もし、ここが生の先なのだとしたら、このように光や吸える気体が存在していることに感謝しなければならない。一体誰に?この世界をつくったどこかの誰かさんに。則物的で肉体的な感覚、それは大変結構なことじゃないか。それに想像していたよりもずっと心が穏やなだ。拍子抜けするほどだ。私は手を空中にかざしてみた。それは枯れ枝のような五本の節がくっついた奇妙な物体だった。ああ、そうかこれが俺の手なのか。こんな手の形をしていたのかな。もう片方の手も似たようなものだった。それから私は自分の胸を触ってみた。衣服は何も身に着けておらず、洗濯板のようなごつごつとした鋤骨を指で何度も撫でた。それから自分の頬に触れた皮膚の皮は干からびたゴムのようだった。頭にほとんど毛髪が残っていなかったことを思い知ったとき、私は少しだけセンチメンタルな気持ちになった。それから私は自分の陰茎に触れてみた。思いのほか弾力があって生々しい活力があるような気がした。しかし、すぐにそれが尿意によるものであることを思い出した。私は起き上がろうとしたが身体に力が入らなかった。四肢の感覚が鈍っていて重い。自分の身体を支え上げることもできない。そうこうしているうちに下腹部のほうで生暖かい感覚が広がっていった。どこか解放されるような快感を覚えた。しかし、すぐに鼻を衝くアンモニア臭が漂ってきて、体から漏れ出た液体は気化しながらシーツの温度を奪い、冷えてヒヤリとして不快だった。・・・生理現象。手足が揃っていて、尿意もある。消化器官も機能している。湿って冷たくなったシーツの肌触りを感じる皮膚。臭いを嗅ぐ。触感的だ。何も変わったところなんかないじゃないか。この身体はまごうことなく私のものだ。
どうにか身体の向きを変えてうつ伏せになることができた。頭を置いてた枕の上に顔を乗せて四つん這いの姿勢になった。それから、腕を突っ張って上半身を起き上がらせることに成功した。物悲しい気持ちになって涙が流れそうになった。でも、涙は流れなかった。部屋のなかを眺めると懐かしい祖父母の家にあった物置小屋のなかによく似ているような気がした。部屋のどこかに掛けられた柱時計がこつこつと音を立てて時を刻んでいる。部屋はいくつもの段ボール箱と書籍であふれかえっている。それから作業机と椅子、綿が飛び出し片方にかしいだソファがあった。しかし、このかしいいだソファ、私には思い当たるふしがある。記憶のなかの何かに引っかかっている。しかし、それがなんであるか思い出せない。ソファは私に何かを訴えかけてくるような確かな存在感を放っている。私よりも私のことを知っているとでもいいたげだ。
♥♥♥
その時、唐突にドアが開いた。ノブを回す音に続いて姿を現したのは筋骨隆々とした大柄な女だった。女の身に着けているメイド服は筋肉ではち切れそうになっていた。女のいかにも硬そうな長い髪は後ろで束ねられていた。彼女の突然の登場は私の心臓の鼓動を速めた。一体何者だろう。女は部屋のなかのアンモニア臭を嗅ぎ取り、渋い顔をした。それから湿った布団を見下ろすなり、「やれやれ、やっちまんたんだね」と言った。私は叱られた子どものように彼女の顔色を伺うほかなかった。彼女は太く逞しい腕で、子猫でも抱えるように軽々と私を持ち上げると、綿の飛び出したソファに私の身体を横たえた。私は背中に伝わる固く張った皮の感触に奇妙な既視感を覚えた。
「まずは、こいつを片付けちまわないとね」女は湿った布団を丸めて脇に抱えると部屋の外に出ていった。私はソファの皮の感触を頬で味わいながら横たわっていた。このソファの醸し出す臭いが、私の記憶の奥の方を刺激する。こんな古びれていつ廃棄されてもおかしくない家具にどうしてこうも引き付けられるのだろう。
手を伸ばせば一冊の書籍に触れられそうだった。どうにか身体をよじらせて腕を目いっぱい伸ばし指先に触れた一冊の本を指先でつまむことができたが、分厚い本の重さに耐えきれず床に落としてしまった。私は床に落ちた藍色のハードカバーの本を眺めていた。タイトルには『時と永遠』と書かれていた。作者の名前には聞き覚えはなかった。
しかし、時と永遠だなんて、何とも残酷な。時は存在せず、永遠は無限だ。私はいやというほどそのことを思い知っている。時について想い馳せていると、図ったように柱時計のこつこつという音がいやに大きく響きだした。それは時を刻んでいる....。
何の前触れもなくドアノブががちゃりと音を立てて、再び大柄な女が現れた。ソファの手前に落ちている本に一瞥をくれたが、何も言わずそれを拾いあげ、もとあった場所に戻した。女は私の体をよく絞ったタオルで拭き清めると、「白い麻の服を差し出して、「さあ、これを着るんだ」と言った。私はそれを受け取ったが、うまく腕があがらず服を広げるのにも苦労した。すると女は私から服を取り上げると、頭からすっぽりとかぶせ、左右に開いた穴に私の腕を一本ずつ通した。「体力はなさそうだが、体調は問題なさそうだね」女の言う通り、手足に思うように力を入れることはできないが、身体に不調はなさそうだった。女は口を開けてみてくれないかと言った。私は言われた通り、口を開けた。私の舌先は無意識のうちに口内をまさぐっていたが、予想に反して生暖かい肉の感触が伝わってきた。そこで初めて私は自分の歯の大部分がないことに気が付いた。幸い、左右の奥歯の何本は残っているみたいだった。女は私の口内を検分して、「食えるなら、何か食った方がいい。使用人がまだ残っているから食事を運ばせるよ。まだ自分では食えないだろうから、介助するよう伝えておく」そう言って部屋から出ていった。
女が出ていったあと、部屋のなかは静寂に包まれた。柱時計だけが、こつこつと音を立てている。陽光が少し陰り始めているようだ。カーテンの隙間から漏れ差し込んでいた光はいつの間にか赤く、細くなっていた。ここにあるものは行く当てもなく何年も放置されたものたちのようだ。ここから先、どこにもいかない。永遠に留まり続けるもの。
私は無性に外が見たくなった。この目で空や太陽や大地を見てみたかった。外界にはどのような世界が広がっているのか見てみたかった。ここは完全な最終着地点ではないのかもしれない。女は"まだ自分では食えないだろうから"と言った。つまり、この先、私は自分でものが食えるようになるということだ。そうした期待、希望を確かなものにするためにも私は外を見る必要があった。光は刻々と変化しているじゃないか。万物は動いている。
しかし、光は次第にか細くなり、部屋は次第に暗さを増していった。そこからは早かった。瞬きひとつしている間に、わずかに残っていた光の筋は消え、とたんに夜の帳が落とされた。周囲の物ものは黒い影になって浮き上がっていた。柱時計が刻んでいる規則正しい音が冷え冷えとしてきた部屋のなかに響く。コツ、コツ、コツ、コツ。私は物寂しい気持ちになった。先ほどの大柄な女が現われはしまいかとドアの方を見た。誰かが来るのをまった。使用人が食事を届けてくれることになっているはずだった。しかし、その人物はなかなか姿を現さなかった。随分と時間は経過したように思われた。ああ、私はまた時間に捉えられようとしている。
ソファは、私が足を置いている側が少し手前に沈んでいた。だから足先をソファの隙間に突っ込み、そこに引っ掛けるようにして身体を支えていた。何度か体勢を変え、うつ伏せになったときだった。左足の先が、ソファの隙間の奥で、何かに触れたのを感じた。すぐにそれが異質なものであることを悟って、とっさに足先を引き出した。私の左足の親指には感触がはっきりと残っている。それは人間の指先だ。二、三本の指がソファの隙間の奥に潜んでいるのだ。或いは人間ではないのかもしれない。あたりの暗さはさらに深くなっていた。カーテンの隙間から漏れる僅かな夜の明かりによって、かろうじて物体めいたものの黒い影が浮かんでいるのがわかる。私はうつ伏せのまま、左頬をしたにして、そのような周囲の状況を眺めながら、左足の親指に残る感触のことを考えないわけにはいかなかった。もう一度、隙間に足を突っ込んでみた。やはりそこに指があった。人間の手の指のようだった。私の足の指先と、おそらく誰かの手の指とが触れ合った。それはもう一度私を驚かせた。その指先は動いて私の足の指を掴もうとさえしたのだ。
動いている....。確かに動いている。ソファの隙間のなかに誰かがいるのだ。そのとき、突然ドアが開いた。燭台の灯りが部屋のなかに差し込んだ。闇の中に沈んでいたものらの姿が再び現れた。大柄なの女が寄越した使用人だ。両手で燭台と食事を載せたトレイを抱えながら入ってきた。微かに暖かな香りが鼻孔を刺激する。どのような料理を提供されるのか興味をそそられた。私は空腹を感じていたのだ。使用人は、ソファの横に小さな丸いテーブルを備え付けると、そこにトレイを載せた。目の前に差し出された料理は、私が想像していたものと違った。しかし、同時に私が想像していたものについて、自分自身でもよく分からなかった。一体何を期待していたのだろう。目の前の料理は白く柔らかそうな塊にソースか或いはスープが掛けられたものだった。まだ作り立ての湯気をあげていた。使用人が私をソファから起き上がらせよう近付いてきた。私はその姿をみて驚嘆した。全身は黒いタイツで覆われ、顔があるはずの場所にはキャベツがあった。
「お食事を運びました」と鳥のさえずりのような美しい声を発した。キャベツの頭を持った使用人が私を起き上がらせようとしたとき、青々とした葉物の匂いがした。こうした異形の姿をみて驚く感覚にはどこか懐かしさがあった。そうだ、私が子どもだった時分、両親に連れられて町のはずれにやってきたサーカスを見に行ったとき、薄暗いテントのなかでみたことがある。道化師の顔だけが舞台の上に浮いていたのだ。あとになって、それが全身黒いタイツを着ていたために、そのように見えたのだと教えられた。
キャベツはその所作も淑女のよう。丁寧に、私を抱き起し、そして、白い塊をスプーンで掬って私の口元に運んだ。歯がなくても咀嚼できるほどに柔らかく、魚介の出汁が効いたスープもこの食べ物によく合っていた。飲み込むと、胃袋に流れ込んでいくのがよくわかった。私の臓腑は活動している。
♧♧♧
大気中の水分は微小な氷の粒となって早朝の陽光を受けて淡くきらめいていた。喉の奥を突き刺さるような凍てつく空気を胸いっぱいに吸って、白い息を吐く。ぼくたちはそのようにして、畑一面に広がるキャベツたちを眺めていた。黒々とした鳥が薄い藍色をした空を一直線に鋭く横切っていく。
「よくここまで来たね。大変だった」とイーユは言った。彼女はマフラーを口もとに巻きなおした。
「うん、でも、思ったよりも難しくはなかったよ。ただ、覚悟が必要なだけ」
「そうね」彼女は空を舞っている鳥に視線を向けた。ぼくもそれにつられて空を見上げた。薄い青色が空を一色に染めていた。早朝の霧も晴れて、雲もない。雪が積もった山稜の輪郭がくっきりと浮かび上がっていた。世界は光と活力に満ちていた。
「ここの生活は退屈。時にそれは耐えがたい退屈になるかもしれない。だって、ここは終わりのない世界。そこにはただ、キャベツのための労働だけが存在している。それに慣れるまでは、ちょっと大変だと思けど、でも、きっとあなたならその退屈さも受け入れていくことができると思う。後悔はしていない?」
「後悔はない」と咄嗟に口をついて出た。ぼくは少し迷ってから「今のところ」と付け足した。
「ここは永遠の世界、終わりのない世界、何も起きなくて、何もなくて、それで、私たちはこの世界に少しずつ飲み込まれていく。同化していく。ここは思念の世界、あなたは、この大地に刻まれている記憶のなかで永遠に生きていくことになる。ここではキャベツを育てなければならない。この子たちがどこに行くのかは分からない。それでも、立派に育て上げるの。」イーユは、眼前に広がる一面に広がるキャベツ畑を愛おしそうに見渡した。冬キャベツたちは寒さから身を守るために、淑女のような外葉を広げて、いま光を浴びて。輝き始めた。
「キャベツたちは夢をみているよ。あの子たちは、立派な頭を持っているんだもの。夢だってみるの。人間よりももっと、想像的で、豊かな夢を見ている。私たちはキャベツと心を通じ合えると思う。耳を澄まして」彼女は目を閉じた。キャベツたちと心を通わせているのだろうか。ぼくも目を閉じた。緩やかな風が頬を撫でるのを感じた。空気はどこまでも清々しく鼻から吸い込むと、胸の内側がきゅっと引き締まった。きっとキャベツたちが生み出す新鮮な空気なのだ。青々しい匂い。ぼくはこの匂いを以前にもどこかで嗅いだことがあるような気がした。その時、風に乗って何か不明瞭な音が聞こえてきた。それは次第に言葉の輪郭をまとい始めた。そして、ぼくはキャベツたちの声を聞き取った。
将軍というのはどんなの。おっかない人さ。とにかく、これでもかってくらい残虐な行為を平然とやってしまう人さ。キャベツを真っ二つに切ったり、千切りにしたり、焼いたり、蒸したり、煮たり、好きなように切り刻んでね。成すすべなしだ。そいつは、ひどいや、将軍の命令は絶対だ。キャベツ王国は将軍のためにあるのか。我々のためにあるのではないだろうか。戦うのだ。同志たちよ。我々には女神がついておられる。やっつけろ、将軍をやっつけろ。狡猾な将軍には勢いだけじゃ勝てないよ。具体的な作戦を考えよう。その前にまずは腹ごしらえだ!これを飲むと元気になるよ。君も飲んだら。べえ、ひどい匂いだ。甘ったるくて匂いがひどい。すぐに酔いが回るよ。キャベツ踊りだ。ひとになりたかったんだ!頭ばかり似せようとして、時間がかかっている。ぼくらは神話になるんだ。いろいろ考えておかないと。どうやってこの世界が作られたかってことをだよ。未来のキャベツたちが、研究するだろう。それに、規範や宗教が必要だよ。新しい世代のキャベツたちがまっとうな進化を遂げられるようにね。
その前に絶滅しなければいいけれど。揺るがない意思というのが大事なんだな。ぼくたち、もいつまでもこんな風に一葉に育ってちゃだめだ。さあ、立ち上がれ、空を飛べ、海を泳げ、それがキャベツだ。
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キャベツが地球の中心に向かっていこうとする力を両手で受け止めて、ぼくは確かなキャベツの実態を感じている。人間の頭蓋から脳を取り出した脳外科医のように丁寧にそれを扱う。ああ、君たちともうおしゃべりすることはないんだね。物言わぬキャベツたち。戦争が終わって、安寧のときがやってきた。


