泉岳寺に行ってきました。

本堂にお参りした後に、

四十七士のお墓参り。

この階段を上がって、お参りの準備をします。

 

泉岳寺を訪れました理由は、四十七士のお墓参りです。

お墓の写真は撮りませんでしたが、とても心が清くなった気持ちになりました。

また明日から頑張ろうという気持ちになれました。

 

四十七士の方々のお墓は、それほど広くないスペースに全員一緒に収まっています。

ここへ来ると、お墓なのに少し笑み(と涙)がこぼれます。

年齢の幅広い義士たちが最期は皆、大願成就して一つの目的を果たしたという

達成感のもとに散っていった、といいます。

 

みなさんも仮名手本忠臣蔵から、あるいは史実からこの事件について

ご存知だと思います。

脚色されたお話と史実とはかなり違いがあるということもございますが、

その実際の経緯をここで考察したいのではなく、

彼らが主君のために一丸となって目的を果たし、死ぬ覚悟で成し遂げた末に、

晴れやかに旅立った、という、心中を考えると、、、、

今とは時代が違うのでなんとも言えませんが、想像を絶します。

 

討ち入りの中心人物である大石内蔵助の嫡男、主税のお墓もここにありますが、

彼は若干16歳!

今思うと若すぎると思いますが、当時は元服しているので罪は免れませんでした。

 

討ち入り後、刑を言い渡されるまで義士たちは全員一緒ではなく

4つの藩に分かれて過ごします。

大石内蔵助は細川藩に預けられましたが、主税は松平家。

もうここで親子は結果的にお別れになってしまったのですね。

 

最終的に切腹を言い渡されますが、切腹の順番は位の高い者からと決まっていて、

松平家へ預けられた義士たちの中で一番位の高いのが、なんと主税だったんです。

主税と一緒に松平家へ預けられた堀部安兵衛は、主税が最期怖がるのではないかと心配して

「我らもすぐに後を追います」と声をかけたといいます。

そして、笑みさえ浮かべて立派に果てたのだということです。。。

 

四十七士には、あるお役目のせいで一緒にはてることができなかった義士が

一人いらっしゃいます。

また、48番目のお墓?の存在があったり、

みなさんいつかご興味があれば足を運んでみてください。

 

とにかく私は、この場所好きなんです。

心の中で、

「みんな一緒になれてよかったね」と呟きます。

「一緒に信念を貫いて共に目的を果たした仲間と楽しくしてるのかな」

と思うと、ふと笑みがこぼれたり、

物凄く熱く煮えたぎるその信念や想いの強さを考えると、

涙が溢れそうになります。

いずれにしても、お墓だけど、この場所好きです。

 

信念や価値観、といった、その人を形成する物の見方や考え。

それがあるからこそ、その人がその人でいられる、というもの。

昔も今も、自分の信念に恥じない行動をする、

それこそが晴れやかに生きていける秘訣かもしれないと思います。

 

自分の信念に恥じない行動をする、

私はこれを自分にいつも言い聞かせて暮らしています。

いろいろ難しいこともありますけどね。

最後はその行動をとってしまうのは自分自身ですから、

自分の言動には責任を持ちたいな、といつも思っています。

 

あ、紫陽花が綺麗でしたよ。

 

今日もみなさんが幸せな1日を過ごせますように!