ショートポエムforme
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生きる者。― Life for 67―

この世界はそんなに好きじゃないけど

生まれたからには生きていかねば

 

しんぞうの高鳴りがとまらない

そんな日がかならずやってくる

 

このままノープランのままで走りつづけ

自由という名のワインを飲みほして死にたい

 

 

 

「メディア」という名の傲慢なる怪物

メディアはいつも自作自演で虚像(ヒーロー)を作り上げて
それを煽てるだけ煽てて飽きたら唾を吐きながらゴミ箱に捨てる
「栄光」と「転落」の物語を作為的(フェイク)に作り上げ
廃棄物のような情報を世間に巻き散らかし腸捻転を繰り返す

 

「ゲームセンターCX DVD-BOX」の「【特典映像】テレビ未放送 有野の挑戦」一覧

1(2005)…『トランスフォーマー コンボイの謎』(1986/FC/タカラ)

2(2006)…『いっき』(1985/FC/サン電子)

3(2006)…『ツインビー』(1986/FC/コナミ)

4(2007)…『ボンバーマン』(1985/FC/ハドソン)

5(2008)…『ドルアーガの塔』(1985/FC/ナムコ)

6(2009)…『イー・アール・カンフー』(1985/FC/コナミ)

7(2010)…『バイナリィランド』(1985/FC/ハドソン)

8(2011)…『シティコネクション』(1985/FC/ジャレコ)

9(2012)…『スペランカー』(1985/FC/アイレム)

10(2013)…『プーヤン』(1985/FC/ハドソン)

11(2014)…『悪魔城ドラキュラ』(1986/FC/コナミ)

12(2015)…『バイオハザード』(1996/PS/カプコン)

13(2016)…『がんばれゴエモン2』(1989/FC/コナミ)

14(2017)…『熱血高校ドッチボール部PC番外編』(1990/PCE/ナグザット)

15(2018)…『バイオハザード2』(1998/PS/カプコン)

16(2019)…『ときめきメモリアル2』(1999/PS/コナミ)

17(2020)…『逆転裁判』(2001/GBA/カプコン)

18(2021)…『桃太郎電鉄V』(1999/PS/ハドソン)

19(2022)…『メタルギアソリッド』(1998/PS/コナミ)

20(2023)…『バイオハザード3 LAST ESCAPE(1999/PS/カプコン)

21(2024)…『スターソルジャー』(1986/FC/ハドソン)

22(2025)…『モンスターハンター』(2004/PS/カプコン)

 

 

 

 

 

 

広島東洋カープ「年度別ベストナイン」一覧 (1980年から2025年まで3年おき)

☆1980(昭和55)年 優勝

①高橋慶②木下③衣笠④山本浩⑤ライトル⑥水谷⑦デュプリー⑧水沼⑨山根

 

☆1983(昭和58)年 2位

①高橋慶②山崎③長内④山本浩⑤衣笠⑥長嶋⑦アイルランド⑧達川⑨川口

 

☆1986(昭和61)年 優勝

①高橋②山崎③長内④山本浩⑤衣笠⑥長嶋⑦正田⑧達川⑨北別府

 

☆1989(平成1)年 2位

①正田②山崎③ロードン④小早川⑤アレン⑥高橋⑦長嶋⑧達川⑨川口

 

☆1992(平成4)年 4位

①野村②正田③前田④ブラウン⑤小早川⑥山崎隆⑦江藤⑧達川⑨北別府

 

☆1995(平成7)年 2位

①野村②正田③音④江藤⑤金本⑥山田⑦緒方⑧西山⑨チェコ

 

☆1998(平成10)年 5位

①野村②正田③前田④江藤⑤金本⑥緒方⑦浅井⑧瀬戸⑨ミンチー

 

☆2001(平成13)年  4位

①木村拓②東出③ディアス④金本⑤ロペス⑥野村⑦新井⑧西山⑨黒田

 

☆2004(平成16)年 5位

①緒方②嶋③ラロッカ④シーツ⑤前田⑥新井⑦野村⑧石原⑨ベイル

 

☆2007(平成19)年 5位

①梵②東出③アレックス④新井⑤前田智⑥栗原⑦嶋⑧倉⑨黒田

 

☆2010(平成22)年 5位

①東出②梵③天谷④栗原⑤嶋⑥廣瀬⑦岩本⑧石原⑨前田健

 

☆2013(平成25)年 3位

①丸②菊池③キラ④エルドレッド⑤松山⑥梵⑦堂林⑧石原⑨前田健

 

☆2016(平成28)年 優勝

①田中②菊池③丸④新井⑤鈴木⑥エルドレッド⑦安部⑧石原⑨野村

 

☆2019(令和1)年 4位

①野間②菊池③バティスタ④鈴木⑤西川⑥曾澤⑦田中⑧安部⑨ジョンソン

 

☆2022(令和4年) 5位

①野間②菊池③西川④マクブルーム⑤坂倉⑥小園⑦堂林⑧曾澤⑨森下

 

☆2025(令和7) 5位

①中村奨②ファビアン③小園④末包⑤坂倉⑥モンテロ⑦菊池⑧矢野⑨床田

 

 

 

 

俺の人生の四字熟語

無欲恬淡

孤影悄然

紆余曲折

一進一退

複雑怪奇

笑止千万

自由闊達

下学上達

夢幻泡影

今こそ・・・「アントニオ猪木の言葉」に耳を傾けろ!

「俺らにしても、奴ら(ニューリーダー)のどっちかが傷ついたら損害だけど、それが新日本プロレスなんだからしょうがない。ギリギリの部分のぶつかり合いが大衆を惹きつけるんだからね。奴らがそれを分かってくれているかって言えば、まだまだだろうな。」(1987年)

 

「さしあたっては、国内の出番を少なくし、海外に進出したい。引退は自分で決めることであって、他人の制約は受けない。本心としては、オレ、自由の身になって思い切ったことをやりたい。引退までの残された月日を大切にし、やるべきことをやり終えたい。」(1988年)

 

「日本人がやるプロレスはアメリカから輸入したものではあるけれど、今のアメリカのWWF(現WWE)を中心としたプロレスが忘れているのは「闘い」です。力道山は色紙に「闘魂」と書いた。私もそう書かせてもらってます。「闘魂」を忘れてはいけない。」(1989年)

 

「今日は立っているのがやっとでした。橋本と蝶野は、本当に強くなりました。でも、オレたちは命ある限り、闘い続けます。それでは約束通り、私が勝ったときしかやらないポーズを。最近は力が弱くなりましたが、皆さんの心をひとつに一発、気持ちのいいやつをやらせてください。1、2、3でダッーです」(1990年)

 

「俺にとって過去は、何もかもみんな素晴らしかった。アリ戦もその時は苦しかったけど、時が過ぎた時にはこれはもう何ものにもかえがたい財産というかね。もう、何が起きようと、痛くもかゆくもないから。世の中には借金のこととか、男女関係のことで苦しんでいる人が多いと思うけど、ちょっと心を変えれば、それを喜びに変えることも可能なんだよ、と俺はその人にいいたい。」(1993年)

 

「もう猪木は無理だよ、という声もありました。でも、リングに上がってしまえば、そんな声も消えてしまう。それまでオレを支えようとして、悔しがってくれた人が涙を流してくれた。この涙は本当に嬉しかった。オレはプロレスでしか表現できなかったけど、試合を終わった時の爽快感とともに、ようやく役目を果たしたという満足感がありました。そして、またエネルギーを起こして、もう一度リングに立ちたいという気持ちになりました。」(1994年)

 

「自分のプロレスが出せるのは、あと1試合か2試合かわからない。そのときは勘弁してもらう。燃え尽きるというか、そういうつもりで立させてもらってますから。どちらにしても大阪ではこれが最後になってしまうと思う。」(1995年)

 

「欲望の大きさにしろ、育ってきた環境、持って生まれたもの……それは他人と違ったものを持っていると俺は思っている。俺はお金もいろいろなものも手にしてないです。貧乏してます。でも、プロレスラーとしての使命をわかっていますからね。」(1996年)

 

「やはり自分の、ある意味では真剣勝負、命懸け、そういう勝負をくぐり抜けてきたからね、熱い夢を提供することができる。そのへんが、俗に言われるサラリーマン型みたいな。みんな、家がほしい、家がほしい。それで満足かっていったら、もっと違う…この職業っていうのはそういうもんじゃないよ。それよりもっともっと、なんていうのかなあ、高次の、いろんな意識を高めていかなければいけない部分だと思います。ひとつだけ忘れちゃ困るのは、ファイティング・スピリッツという、闘魂というかな、闘いの魂、リングは闘いであるという精神をね、より強く掲げる必要性があるんじゃないか。」(1997年)

 

「これでいいということはないと思いますし、そういうことから本当に、ほかのスポーツとも比較してもヒケをとらないような、プライドを持てるプロレスになってほしいと思っています。」(1998年)

 

「オレが力道山から教えてもらったのは、我々レスラーは夢を売る商売であること。格闘技は芸術であり、ロマンであり、永遠の冒険なんですよ。」(1999年)

 

「ただそれは、変革することができれば、今の体制を変革することができれば、脱皮してもうひとつ新しい新日本プロレスを創ることができるかもしれない。そういうふうに意識改革をすれば、新日本が再び光を取り戻して、もっともっとファンの夢を、今はまた夢のない時代だからこそ、夢を売る職業として誇りが持てるようなものに変えていってもらいたいなあと。」(2000年)

 

「今、俺は人生のホームレスをやっています。手の上に乗っかってしまうほど小さな地球をさまよっていたら、今日はこの両国の前に来てしまいました。どこを向いても不景気な話ばかり、元気のないことばかりで…おもしろきなきをおもしろく。俺はこの時代を自分なりに楽しく生きてます。プロレスも、みんなの夢のためにもっともっとおもしろくしてもらいたい。」(2001年)

 

「今、世の中が怒りを忘れてしまった時代に俺たちがリングで本当の怒りをぶつける。それがみんなに伝えるメッセージなんだ。新日本イズムとはそういうことだと思う。それぞれの怒りも、すべてを注いでくれ。俺たちはそんな思いを日本に元気をつけるために、力を合わせて頑張っていきます。いくぞーっ!1、2、3、ダーッ!」(2002年)

 

「「早く逝き 橋本真也は そのままで」っていう。俺もいろいろな人との出会い、まあ娘を亡くしたりね、ブラジルにいる時に兄さんとの別れとかあって。そんな中でたまたま俺が死を見つめてみたいな本をこの間ちょうど帰りの空港の本屋で買ったんですけど、いずれは旅立たなければいけないんでしょうけど。そういう意味では奴らしいなって感じはしますよ。これはもう涙はさて置いてね。悲しいけど、アイツらしく新しい旅に出てもらいたなと」(2005年)

 

「観客とリングが一体になる必要はあるけど、レスラーが絶対的に優位な立場に立たないと。お客の手の平にのせられているようじゃダメ。逆だって。客にコビる必要はないって、前から言ってるじゃん。いっつも同じパターンで、そこを意表をつくような「エッこんな試合いいのかよ!」っていう試合も、俺たちが望むところなんですよ。でも、いまのプロレスってそういうのは望まないじゃない。お客が思うとおりになって、よかったよかったって。リングの上の選手もそんなお客にありがとう、みたいな。それがいまのプロレスなんじゃないの?」(2009年)

 

「世の中が元気が元気がないときだからこそ、我々の役割ってのは出てくると思うので。まあオレが一生懸命、後ろでけしかけます。やっぱり刺激って大事だと思うんですよ。」(2010年)

 

「よく昔は、プロレスは八百長だって言うオヤジがいたから首根っこをつかまえて放りだしたことがある。今はそんなことしたら大事件になる。それはともかくプロレスというものに誇りを抱いて、どこからでも勝負できるという姿勢を持たないと。人間の感情に筋書きなんてねえよと。それが一番のリアリティーであり、ファンから見たって読み切れないものがある。偏見と闘ってさ、見たくなねえヤツは見るなって。でも、そいつの首根っこを引っつかんでも見せてやるって。」(2011年)

 

「あとは俺も動けるうちに動いて。それこそお迎えがいつ来るかわからないからね。それに近い歳にきているから。人は「いやいや、まだまだですよ」と言いますけど、いつきてもいいように。」(2012年)

 

「猪木のパワーの源が何かって聞かれたら、わからない。何かわからないパワー、それは科学的な何かじゃない。プロレス会場でも、俺がいることでなんであんなに会場がひとつになれるのか。猪木のパフォーマンスがどんなものなのか。おちゃらけもパフォーマンスかもしれない。でも、空気を一瞬でひとつにする、それもパフォーマンス。期待される以上、こっちもやらなきゃいけない。」(2013年)

 

「何べんも言うけど、投げた石の波紋。せっかく石を投げても、沈んで終わりじゃしょうがない。生まれた波紋をいかに広げていくか。広げていったところに何が生まれるか。そしてそこにどういう真実があるか。自分に対しての問いかけでもある。」(2018年)

 

「何歳でもいいじゃないですか、元気であればいいんです。年を取れば病気になったり、介護が必要だったり、いろんな人の手を借りて迷惑をかけてしまうでしょう。こういう社会の高齢化のなかで、生きるってなんだろうと、政治的にも社会的にも、だれかがしっかりしたメッセージを送らないといけない。じゃあ私はわかるのかというと、まだ私にもわからない。死んだらどうなるのか、生きるってなんだろう、人類の永遠のテーマですよね。しかしね、どんなに年を取ろうが、体が弱くなろうが、チャレンジし続けることが人生です。そしてお迎えが来たときは、いさぎよく旅立っていければいいなと思っています。」(2019年)

 

「例えば自然の中に立って、空を眺めてどうとかやりたくたってできないわけでしょ。それなら、せめて発想だけはいつも新しく持ちながら。終わりはあるんだけど、次に向けて、夢だけは描いていきたいなって。」(2020年)

 

「闘病生活は楽しくはないけど、楽しくなるように考えながら一日、一日を過ごしているというのかな。退院したらこれをやろう、こんなふうに元気を送ろうって、退院後の絵を描いて、毎日リハビリに取り組んでいます。」(2021年)

 

「コロナで世の中が一変してしまったように、プロレス界もすっかり変わってしまったように思う。みんな魂を燃やしているんだろうけど、今はその燃やし方が違う。そこを俺は否定するつもりはない。だけど、いつの時代も常識に縛られていては新しいことを生み出すことはできない。俺がよく言う「一歩踏み出す勇気」と「1mmの非常識」が、新日本プロレスを作ってきたんだということは言っておいてもいいかな」(2022年)

 

 

 

 

やがて

このそらのしたに
かなしみがあるのなら
ちいさないちにちを
むねいっぱいにいきたい
このかなしみをのりこえたら
どんなえがおを
あなたにみせられるだろう
あなたのあいが
つきのひかりにてらされて
ぼくのゆめは
やがてくもをだきしめる

敗北者たちのパラダイス2026

スマホを舐めてるお姉ちゃん

名札を引っ張るお兄ちゃん

パワハラ全開お母ちゃん

引きこもり続けるお父ちゃん

どこかに消えたお婆ちゃん

黙して語らずお爺ちゃん

狂った世界に坐り込み

今夜も朝までサービス残業

あの秘密は死ぬまでずっと隠しておこう

敗れし者は敗れざるなり!

 

 

 

 

 

『阪神タイガース・歴代外国人野手名鑑(1988~1999)』

バース (1983~1988/内野手/説明不要の「史上最強の助っ人」)☆☆☆

 

ジョーンズ (1988/外野手/バースの帰国に伴ってシーズン途中に緊急入団を果たすも阪神ファンを歓喜させることはできなかった)☆

 

フィルダー (1989/内野手/来日初年度に38本塁打を放つ大活躍を見せたがわずか1年でNPBを去る)☆☆☆

 

パリッシュ (1990/内野手/28本塁打を放って期待にこたえたがシーズン途中に衝撃の電撃引退)☆☆


ウィッグス (1990/外野手/「第三の外人」としてパリッシュ帰国後に出番が訪れるが全く見せ場はなかった)☆


オマリー (1991~1994/内野手/阪神の90年代最高の優良外国人として毎年ハイレベルな成績を残した)☆☆☆


ウイン (1991/外野手/シーズン終盤間際まで辛抱強く起用され続けたが一向にバットは火を噴かなかった)☆


パチョレック (1992~1993/内野手/92年は88打点をあげてチーム躍進の立役者になるが翌年は腰痛に苦しみ8月に引退)☆☆☆


ディアー (1994/外野手/メジャー通算226本塁打の大物だったが惨憺たる成績を残してシーズン途中で帰国)☆


グレン (1995~1996/内野手/1年目は23本塁打を放つが2年目は低調な成績でシーズン途中で退団する)☆☆

 

クールボー (1995~1996/内野手/2年目は不振を極めてグレン同様シーズンの途中で帰国)☆☆


クレイグ (1996/内野手/わずか22試合出場しただけで解雇される)☆


マース (1996/内野手/名前が似ているバースの再来を期待されるがそこまでの力はなかった)☆


ハイアット (1997/内野手/27歳の若さで入団するが期待にこたえられず67試合の出場に終わる)☆


グリーンウェル (1997/外野手/7試合に出場しただけで「神のお告げ」によってまさかの引退)☆


コールズ (1997・内野手/中日時代と同じような成績を残すことはできなかった)☆


シークリスト (1997/内野手/プレーしている姿が一切記憶に残っていない「幻の助っ人」の一人)☆


パウエル (1998/外野手/年齢的な衰えもあり3年連続首位打者の実力を全く発揮できなかった)☆


ハンセン (1998/内野手/シーズン前からサードのレギュラーを確約されたものの期待外れの成績に終わる)☆☆


ウィルソン (1998/外野手/204cm104kgという巨体の割には極めて非力だった)☆


ジョンソン (1999/内野手/夏ごろまでは不動の4番だったのだが大不振に陥り大豊にその座を奪われた)☆☆


ブロワーズ (1999/内野手/不甲斐ない成績と怠慢プレーで期待を大きく裏切った)☆

 

 

 

 

 

 

 

なぜか幸せ☆ミスったロンリー

「ミスターロンリー」ならぬ「ミスったロンリー」のわりには、運よく一般社会からドロップアウトすることもなく、20代前半の頃に想像していた何十倍も幸せな人生を生きることができた。

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